岡山→出雲→松江 の旅
2015年 09月 20日
シルバーウイークに出雲大社へという計画はずいぶん前からあったのだけれど、人気のサンライズ出雲の予約で苦戦して、ななかな予定がたたなかった。幸い、帰りのサンライズ出雲がとれたので、行きは岡山軽油で特急いずもで出雲入りすることになった。本当は飛行機でという選択肢もあるのかもしれないけれど、JALしかないし、そもそも飛行機というのは苦手なので、ちょっとご遠慮させていただきたい(笑)。
ということで、20日に朝一の新幹線で昼に岡山入り。そこで一泊して、翌朝一番の特急で出雲入りすることにした次第。出雲は大学2年の夏のサークルの合宿で行って以来。それこそ35年ぶりぐらいか。すっかりどんなところか記憶が薄れてしまっている。
せっかく出雲に行くのなら、出雲の歴史というのもあらかじめ復習しておかなければいけない。特に、今回は素戔嗚巡りの旅みたいなところがあるのだからと、久しく読んでいなかった『消された覇王』などを取りだして、素戔嗚から大国主への流れ、大国主の国譲りから邪馬台国、そして神武の東遷などの関係をちょこっと整理して見ようかなんてことを考えた。それは、考古学から導き出された縄文から弥生の文明の状況はいいとして、古事記の素戔嗚や大国主から魏志倭人伝に残される邪馬台国、そして神武の東遷までの流れをどうやって結合させればいいの?というのがよくわからなかったからだ。
大国主の国譲りの結果として、荒神谷の遺跡が出来たのか?とか、大国主の命が国譲りしたのに、なぜ神武は東遷をしなくちゃいけなかったのかとか、出雲にも大和とは違った独自の古墳があるということは、大国主の後にもまだ出雲は栄えたのかとか。なんかわからないことがたくさんあった。そもそも、大国主って、そんなに偉大な王様がいたのか?その疑問はちょっと『消された覇王』に毒されているかもしれないけれど、やっぱり饒速日と大国主の関係って、もう少し解きほぐしておかないといけないのではないかとか。
ともかく、まずは、素戔嗚だ。今回の出雲では素戔嗚の遺跡をたくさん巡る。基本は神社だけれど、弥生時代のことがまだまだこんな風に残っているのがとても面白いなあと思う。
ということで、岡山は吉備津彦伝説の強く残った場所だけれど、吉備津彦が退治した鬼の流れともいえる、吉備の勢力とも密接に関係のある出雲族の王国を、ちょっと掘り下げてみてみたいなあと思う。
by darjeeling_days
| 2015-09-20 13:31
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