日本橋神社巡り
2016年 01月 04日
お昼に人形町のロイヤルパークホテルで
新年賀詞交換会があったので、
茅場町から歩いて向かったが、
途中、いつもお参りする茶の木神社で
お参りしようとおもったら、
ちょうど日本橋七福神めぐりの人たちが
行列をなしていて、断念。
この神社は、生け垣が茶の木なのだが、
今年は、この茶の木から作られたお茶を混ぜた
「神茶」というのを販売していた。
もちろん、買ってみまたが、静岡茶とのブレンドということで、
おそらくこの茶味だけを楽しむことは無理なんだろうなあ。
茶の木神社の御朱印は
この時期だけしかいただけないので、
頂戴してきた。
新年賀詞交換会のあとは、
同じ人形町にある椙森神社へ。
ここも日本橋七福神の一つなので
行列が・・・。
このあたりはその昔杉がたくさんはえていたんだとか。
なんだか考えられないなあ。
藤原秀郷が平将門の乱鎮定のため戦勝祈願し、
その後、白銀の狐像を奉納したのが始まりといわれるが、
文正元年(1466年)に大田道灌が雨乞いに霊験があったとして
山城国稲荷山五社大神を勧請して祀ったのが神社としての始まり。
主祭神は倉稲魂大神。つまりお稲荷さん。
でも、さすがに歴史があるだけあって、
普通のお稲荷さんとは違うのがおもしろい。
面白いことに、
ここでは神社と恵比寿の二つの御朱印をくれる。
僕としては神社巡りなので、神社のほうを頂戴したのだが
のあたりの神社はことごとく倉稲魂大神というのもおもしろい。
江戸文化は稲荷文化でもあったのだろうか。
ちなみに相祀されているのは素戔嗚、大市姫大神、
大巳貴大神というのもなんだかとってもおもしろい。
大市姫大人は素戔嗚の奥さん。
その子供が宇迦之御魂神(=倉稲魂大神)と大年神。
なぜ大年ではなく大巳貴大神(大国主)なのだろう。
ついでに近隣の出世稲荷に立ち寄ってお参りしてきた。
元和三年(1617)、京都伏見稲荷より祭神を勧請し、お祀りしたのは始まり。
初代市川団十郎が日参して、出世したことから有名になったらしい。
以来、商家・芸能など多くの信仰者が数多く出世したらしく、
この「出世稲荷」の名前がついた。
振袖火事(1657)、安政大地震(1854)、明治の大火(1873)、
昭和20年の東京大空襲による戦災まで免れたらしい。
いまは、マンションの下に小さく祀られている。
そして最後は、我らが兜神社。
ここは明治11年(1878)5月、東京証券取引所が出来た際に立てられた新しい神社だが
境内には、前九年の役(1050年)に
源義家が東征のみぎり願を懸けて戦勝を祈願した兜岩があり、
日本橋兜町の由来ともなっている。
ここももちろん周辺の神社と同様、
主祭神は倉稲魂大神。ここもお稲荷さんだ。
しかし、相祀は大国主神と事代主命親子。
この辺がなんともおもしろい。
まあ、新しい神社なので、そういう風になったのかもしれないが、
倉稲魂大神は大国主と兄弟のはず。
それとも一体だったのか?
神社の由来と神々の系譜は、
本当におもしろい。
茶ノ木神社
住所:中央区日本橋人形町1-12-10
椙森神社
住所:中央区日本橋堀留町1-10-2
出世稲荷神社
住所:中央区日本橋堀留町1-6-11
兜神社
住所:中央区日本橋兜町1-12
by darjeeling_days
| 2016-01-04 18:15
| shrine:神社・稲荷神社
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