母との距離

母との距離_d0227799_22081901.jpg

来週、東北に遅い夏休みで出かけるので、母を介護施設にショートステイさせることは、以前書いた通り。

だからそろそろ母の持ち物などをきちんとそろえて用意しなければならないのだけれど、そんなときに義父が目の手術を再度しなければならなくなって仕舞い、家人が実家に帰ることになった。義母もこのところ体調不良で、そこに義父の手術ということで若干気落ちしていることもあり、これまた体調不良の家人が世話をしに行くという、なんか今年は厄年ですか?的な出来事が重なっている。

なので、母のことは僕が面倒を見ることにして、休息するつもりで実家に帰りなさいと家人を送り出したは良いのだけれど、母の準備がこんなに大変だったとは・・・。いつもこんな母を世話をしている、近所に住んでいる姉貴には頭が上がらないなと思った。世間で言われている通り、「息子はあてにならない」のだ・・・。

もはや、アルツハイマー型の認知症というのは、今起こっている出来事を数分しか記憶できないということなのだということを認識した。つまりそれでどういうことが起るかというと、同じことを何十回も聞く、同じことを何十回も話すという、無限ループ地獄に陥るということなのである。

紙に書いて、必要なものを全部出させて用意したその先から、「あれが必要よね」とか「これは入れたかしら」とか。「あれがないから買いに行かなくちゃ」とか。今全部出してこれにするというからそれを入れたじゃないかと、思わず声を荒げてしまいそうになるのをぐっとこらえて、「それはね、さっき選んで荷物にいれたでしょ。だからもう済んだんだよ。」と優しく諭すしかない。

一番厄介なのは、医者に薬の管理は息子さん夫婦がしてくださいと言われてもらってきた薬を、なぜか僕が取り上げて、飲ませないと思い込んでいること。なんでそんな中途半端な記憶は残ってしまうのだろう。まだら記憶という奴なのだろう。そうえば、義父が手術で家人が実家に帰ったことは記憶が残っている。重要な薬のことは覚えていられない。なにしろ、最近まで医者に行くと出かけていたはずなのに、医者に先日家人が連れて行ったら1年来てませんと言われたのだ。つまり一年薬を飲んでいないにもかかわらず、薬は毎日飲んでいるのに、僕に薬を取り上げられてここ数日薬を飲んでいないと思い込んでいる。

そこで、対策として、毎日薬を飲ませたときに、飲んだことをチェックするマトリックスを作って母が使っている鏡台に張り付けた。薬は僕らが毎日きちんと飲ませていることもちゃんと書いて貼った。

しかしここ数日、朝起きて身支度をしようと思うと、洗面台に母からの手紙で「薬は自分で管理するので、置いていってください。自分のことはできるだけ自分で管理します。」という手紙がおかれているのだった。朝からため息な、そんな気分で出勤していたのけれど、こりゃもうしょうがないのだなと思うしかなかった。

今日、会社から帰宅して、こうして母の出かける用意をしつつ、記憶できないのだろうけれど、いろんな話を母として、そこにさりげなく薬の話も混ぜ込んでみた。母は、割と素直な人間なので、その場では自分が物忘れしてしまうことを納得するので、「そういうことなのね」とか「迷惑かけて悪いわね」と殊勝にいうのだけれど、10分経たないうちに「薬はどこにあるの」とか言われるのは、やはりちょっと辛いものがあった。

今日は、対策の一つとして、納得の言葉を口にした際に、すぐにいつも手放さずに持ち歩いている手帳にそのことを書かせることにした。「自分ではもう薬の管理はできないので、息子が管理する」と書いたその記載を、ちゃんと認識してくれると良いのだけれど。その場では殊勝に「世話をしてくれる人がいてよかった。感謝している。」とかいうんだけれどね。

だけど、ついぞこんな風に母と話したことなかったなあと思ったのだった。僕は父との関係がうまくいってなかったので、割と家族とは距離がある。母も姉には手をかけたが僕は放置されたので、普通の家族よりもきっと距離があるのだろうなという自覚があった。でも一応長男だから、両親を引き取って世話はしてきたけれど、考えてみると、こんなに時間をかけて、面と向かって母と話をしたことが最近あっただろうか。

そう考えると、母の認知症もある意味、親子という関係をもう一度見直す機会をくれたのかもしれない。

ついでに母親の家系の話を聞きだしたり、あの人はどんな関係の人なの?と記憶している遠い親戚の話を聞きだしたり、それはそれで収穫があって面白かった。

幸い母の場合は、記憶を短時間で失うが、5年以上前のことはしっかりと記憶できているので、身の回りのことやらは、しっかり自分ですることができる。なので、まだもうしばらくはイラっとしつつも、母と向き合ってみようかなという気にさせてくれるのは有難いことなのだろう。

おかげで最近ブログがリアルタイムでかけず、後追いになってしまっているが、まあそれは仕方がないことではある。あと30年すると(そんなに長生きできるかはわからんが)、僕もこんな風になるのだろうか。いろいろと考えさせられる水曜日の夜だった。


(写真はランチに食べた、肉の吉野の”鶏ささみチーズカツカレー”。この店もともと肉屋さんだったので、揚げ物は美味しい。)


dd_fotterjpg

by darjeeling_days | 2022-09-14 22:00 | life:生活一般 | Comments(0)

美味しいものを食べて、旅して、写真を撮って、本を読む。そんな日常の極上の楽しみを切り出した、至極個人的なブログです。https://www.tearecipe.net/


by darjeeling_days
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31