あしたはきのうよりも素敵な日
2009年 01月 16日
言葉は巷のあちこちに溢れている。
これだけ多くの言葉が情報として垂れ流されているのだから、少しは心にとどまる言葉もあってもいいのだけれど、なかなかそんなものにお目にかかれない今日この頃。
いつから言葉ってこんなに軽くなってしまったんだろう。
昔はいったん口から吐かれた言葉は魂をもって、様々な作用をもたらした。
人を癒しもし、そして呪詛の言葉は人をも殺した。
でも、最近では紡げばつむぐほど空回りする空虚な言葉が多すぎる。
かくいう僕もあちこちで言葉遊びをしているので、人のことは言えないか・・・。
でも、心から吐いた言葉の力は信じている。
だから、このところまた再び池澤夏樹に回帰しているのかもしれない。
彼の言葉が好きだから。
彼の言葉で癒されるから。
でも、一方で、巷に溢れている言葉を拾いながらも、心になにかをもたらす言葉にも出会ったりする。
たとえば、そんな日々の中で、毎日読んでいるこれなんか、その代表例。
小難しいことが書いてあるわけではない。
感動して涙を流すようなことが書いてあるわけでもない。
むしろ、毎日の日常の小さな事柄が、心情を交えて描写されているだけ。
もちろん、年齢も性別も違うのだから、言葉の奥深くに潜む真意なんて、僕には分からないし、実はそれらの言葉に潜む物事自体、僕が思っているのとはまったく違うのかもしれない。
でも、言葉の表象に表れ出でる感覚が、なんとも素敵。
だからなのだろう、数年前からの隠れファンが続いている。
一週間前に書かれた「招福練習」なんて、本当にそのとおりだと思ったりする。
「明日は絶対今日よりいい日!」って
毎日がわくわく感にあふれていたのは、何歳の頃までだっただろう。
あの根拠のない確信はどこから来ていたんだろう。
いい日だと信じていたのに突然訪れる小さな落胆たち。
期待すればするほど大きくなる衝撃や絶望。
(「パヤパヤ。きょうもいきてる。」から引用)
普通に生活していてもそんなことの多い日々。
後ろ向きに生きるのは僕の性には合っていないので、相変わらず僕は毎朝「すべてがうまくいきますように。皆が幸せでありますように」と心の中で唱えているのだけれど、それでも、そんな落胆はやってくる。
でも、これに続く彼女の言葉。
「あしたはきのうよりも素敵な日。ぜったい!」
・・・
たしかに、自分でそんな風に思わないと、そんな風に努力しないと、手探りですら歩いていけない。
だから、そうやって毎日を歩きながら、どこかで小さな幸せも拾っていたりもするだろう。
なので、小さな落胆にもまあいいかという気持ちにもなる。
仕方がないよね。
生きていればいろんなことがある。
by darjeeling_days
| 2009-01-16 12:04
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