ウイーンの小道を散策する
2015年 02月 04日
ナーグラーガッセ
Nikon D800, Ai AF Zoom-Nikkor 24-85mm f/2.8-4D IF
ウイーンに行くのなら、絶対に小道を散策しなければウイーンの本当の魅力は分からないといわれた。なので、どの通りをどうやって歩けばいいのか、事前に「ウイーン旧市街 とっておきの散歩道」という本を購入して、研究してみた。いくつかの散歩道が掲載されていたので、それをベースに、いくつかを合体させ、短期間に効率的に歩けるコースを作ってみたのが、今回の散策経路である。
クラーベンを突き当りまで散策するのは定番なので、このどん詰まり、つまり高級食材店「ユリウス・マインル」の真ん前を起点としてそこからスタートである。
まずは、北側に進路をとり、北西に伸びるナーグラーガッセへ入る。ナーグラ―とはナーゲル(釘)のことであり、もともとは、このあたりに中世の時代から釘作りの職人が集まっていたことから命名されたらしい。グラーベンから奥まった場所なので、人通りも少ないが、アールヌーボーの影響を受けた建物があったり、小さなパン屋や宝飾品店が並ぶ、なかなか良い小道だ。
alt="DSC_2678 ケルブラーガッセ">
途中、ヴァルナ―通りに抜ける路地裏を覗きながら、12番地まで進むと、左手に通り抜けできるハールホーフというのが見えてくる。
そこをちらりと覗いたら、さらにナーグラーガッセを進むと、天使や制度などのレリーフがある建物がいくつかある。そのまままっすぐ進んでハイデンシュスに抜けてもいいのだが、今回は、ちょっと戻ってハールホーフの今反対側のイリスガッセ方面へ進む。
イリスガッセはウイーンで一番短い小道らしいが、花や土産屋などのスタンドがいくつか並んでいた。
通りの真ん中に公衆トイレへ降りる階段がある。一度は公衆トイレにも行っておこうと、息子と二人で中に入ると、係員のおっさんがいて、50セントだよと声をかけてくる。この手のトイレは、基本的に有料トイレというわけだ。ちなみに上の写真はそこのトイレではなく、クラーベンにある公衆トイレの階段である。まあ、イリスガッセのも似たような感じ。
その先はAM HOLFという広場になっている。この広場を取り囲むように貴重なバロック建築が多く残されていて、コッラルト宮という宮殿があったことから、アムホーフ(宮殿前広場)という名前がついたのだとか。この広場ではその昔馬上槍試合など様々な宮廷行事が行われたそうだ。
さらに、コッラルト宮は、モーツアルトがウイーンに出てきて初めて演奏したところだとか。
広場の南側にはアムホーフ教会、それと反対側の北側には、1683年 「第二次ウィーン包囲」の際の、オスマン帝国による砲弾(Türkenkugel)が金色に塗られてつり下げられている (Am Hof 11)bombビルがある。現在はゼネラリ保険のオフィスだとかで、外見がとても美しい。
この美しいビルの東側の小道を入る。ここがドラオガッセ。小さなブティックやパン屋やレストランなどが点在する素敵な石畳の小道だ。
さらい左手にはレーダーアーホーフが裏道らしくそこにも素敵なレストランがあった。こういう横道を覗いてみるのもとても楽しい。
さらに先に進むと道が開け、ユーデンプラッツに到達する。この一帯はユダヤ人がだったようで、第二次世界大戦時にナチスドイツに殺された人を追悼するホロコースト記念碑がたてられている。
同じ広場の先には、ドイツの詩人で劇作家のレッシングの碑が建てられている。彼もユダヤ人だったらしいが、ドイツ市民文化の発展に大きく寄与した人なのだとか。
モーツァルトが以前住んでいたのも、このあたりなのだとか。 1783年には、Judenplatz 3。 そして、1789年から1790年の秋にかけては、Judenplatz 4。当時の家は、すでに存在しないが、ここでオペラ・ブッファ 「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte) を作曲したのだそうだ。
ここから、ウイーンで最も美しいと言われる小道、クレンドガッセへ入り込む。ゆったりとカーブしながら下っていくクレンドガッセの両脇には、 風のビルが並び確かに美しい。石畳の紋様もとてもいい感じだ。
小道に入ると直ぐ左手にこじんまりとしたパン屋が目につく。Grimm(グリム)と名付けられたパン屋は、1542年創業という、かなーり年季の入った老舗らしい。まどにはまだクリスマス飾りが残ったままで、小型のパンがいろいろと用意されているのが覗けた。
グリムのすぐ脇には、クレープラッドガッセという裏道に抜けられる抜け道(ドゥルヒガンダ)があり、思わず迷い込みたくなる。
さらにその先にはオーフェンロッホというバイスル(ビストロ)があって、ちょうど店を開け始めようと、お姉さんが準備をしているのが見えた。
窓の鎧戸に書かれたメニューが、なんともおいしそうな感じがして、そろそろおなかすいたなあって思わせる。そうえば、ちゃんとしたウイーン料理を、まだ食べてない(笑)。それは今晩までお預けか・・・。
道を挟んで反対側はアンティークショップ。こういう店がとっても似合う小道だ。
ここは、初夏になると道にオープンカフェさながらの席が設けられ、夜にはここでいい感じにご飯が食べられるらしい。そんな時期に一度また写真を撮りに来たいものだ。そもそも、この小道は夜が似合いそうな気がする。
アンティークショップの隣には、こんな蠱惑的な画の飾られた画廊があったりする。
たまたま両手に娘を引き連れた格好いいお父さんが通りかかった。なんとも絵になるので、無断で一枚頂戴。それにしても、ほんと、こういう所で絵になるのは、現地の人だよなあって思う。ゲルマン系の人は、こういう石畳にアールヌーボー風の建物には本当にマッチするのがうらやましい。
4番地の地元で有名なビアレストラン「ゲッサー・ビーアクリニーク」(写真緑の飾りがある店)は、まだオープンしてなかった。それにしてもビアクリニック。つまり、ビール診療所。ビールを飲めば健康になるとの主張が面白い(笑)。
クレントガッセの終点近くには、緑の屋根の小さな「時計博物館」がある。窓から覗いてみると様々な時計が飾られていて面白い。時間があればちゃんと見学してみてもいいかもしれない。江戸時代の日本の時計も展示してあるんだとか。
クレントガッセとはここで別れを告げて、ザイツァーガッセの途中からデパートのフリースペースのようなトゥッフラウベンフォーフを抜けてトゥッフラウ通りにでる。ここに出るといきなり車と人の通りが多くなる。
もう少しだけ人通りを離れて小道散策がしたかったので、シュタインドルガッセに入ってみた。歩道と車道(おそらく馬車の幅に合わせたと思われる)の区別がされている石畳が、なんともいい感じだ。
再びトゥッフラウベン通りにでて北上する。途中、相変わらずの脇道を覗き込みながら、のんびりと散歩する。この辺りには、食事もできる老舗カフェKORBとかもあって、歩くのが楽しい。
そしていよいよ最後のホーアーマルクトにでる。ホーアマルクトは昔魚市場だった場所だ。ドナウ川が昔はこのすぐ北側を流れていて、撮れた魚がここに水揚げされたらしい。ローマ時代の遺跡も発掘されているらしく、ウイーンの起源になったヴィンドボーナ駐屯地のメインストリートだったともいわれている。
ここはモノクロ映画の「第三の男」にも何度も登場するらしいが、残念ながらまだ第三の男は見たことがない。音楽は昔々姉貴のエレクトーンで嫌というほど聞かされたのだけれどね。
小道散策の終点に選んだのが、アンカー時計。ホーアーマルクトの東端にアンカー保険会社のビルがあり、2つのビルを結ぶ橋状の時計がアンカー時計なのだ。12組の歴史的人物の人形が時間ごとに1人ずつ登場するらしい。そして12時になると、すべての登場人物の人形が出現するらしい。
微妙な時間だったので、人形を見ることはできなかったけれど、こんな風にウイーンの小道をさ迷い歩くのが、やっぱり楽しい。季節ごとに違った顔を見せてくれそうだし、ちょっと朝早くてまだ店が開いていないところが多かったけれど、時間によってはもっともっと生き生きとしたウイーンが見れる場所だったのではないかなどと、勝手に想像して、悦に入った。
ウイーンの愉しみは、路地裏にあり!まさにその通りだ!
by darjeeling_days
| 2015-02-04 07:28
| travel
|
Comments(0)