田端環状積石遺構-町田市田端
2020年 08月 13日
1968年、畑を耕作中に偶然発見された、
縄文時代後期から晩期(約3500年から2800年前)の墓地・祭祀場が
町田市田端にある。
30基の墓からなる集団墓地が形成された後、
その上に9×7メートルの環状積石遺構が作られている。
これは都内では珍しいストーンサークルだ。
この遺跡は、約3500年前〜2800年前の
縄文後期中頃から晩期中頃までに連続的に構築された遺構だ。
この変一帯に存在した集落の中心部分に存在し、
土偶(どぐう)や埋甕(うめがめ)、大珠(たいしゅ)等
日常用具以外の遺物が発掘されていることから、
縄文時代の祝祭施設であったと考えられている。
この遺跡からは、境川対岸の相模原台地、
そのはるか後方の丹沢山地などが見渡すことができ、
冬至の日没時には丹沢山地の蛭ヶ岳山頂部に太陽が沈む様子が見られる。
9 ×7㍍の楕円形長軸上には富士山も視野に入る。
20代半ばの頃、オートバイでこのあたりを何の目標もなく
ブラブラしているときにたまたま「田端遺跡」の看板を見つけ
立ち寄ったことがあった。
当時は、遺跡の石組みに
それぞれ説明書きが置かれていたのを記憶している。
いまはレプリカで遺跡を再現しており
実際にこの遺跡の中にまで入って雰囲気を感じることができる。
その上にレプリカが設置されている。
いま見られる石組みは、レプリカということになる。
奥が環状列石で、手前が周石墓になる。
石棒らしきもののレプリカが横たわっている。
倒れているように見える石は、昔はすべて直立していたのだろうか。
ぐるりと縁をえがいた石積は、集落の中心だったのだろうか?
レプリカの石は本物をきちんとさいげんしたものなのか?
若干の疑問がのこる。
この石積みの並び方は
当時はなにか規則性があったのだろうか?
こうして石積みの石を立てて揃えると、その位置が
冬至の日に蛭が岳に沈む夕日の位置に一致するということから、
日時計とか祝祭のための施設であるともいわれる。
夏至の日の太陽を測ることで
何をしたのだろうか。
日没は丹沢の方角になる。
形の良い大山や丹沢最高峰の蛭が岳を望む
絶好の場所だったのだろう。
山並みの一番左側は大山で、木のあたりに蛭が岳がある。
気が邪魔しているが、蛭が岳の右側に富士山の頭が見えるはずだ。
田端環状積石遺構
住所:町田市小山町3112の2
電話:042-724-2554(町田市生涯学習総務課)
玉川大学教育博物館/042-739-8656
町田市考古資料室/042-724-2554
by darjeeling_days
| 2020-08-13 18:25
| Ancient monument:遺跡
|
Comments(0)






































