代々木八幡遺跡

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代々木八幡の一体は、先にも書いたけれど
初代から代々木公園に向かって細く伸びる半島になっている。
こういう半島には神社が多くあるのだけれど、
中沢新一が『アースダイバー』で、
台地が突き出した岬の突端は縄文時代からの聖地で、
そのような土地に神社や仏閣が多いといっている。
まさにこの代々木八幡宮の境内には
縄文時代の遺跡が存在しているのだ。

武蔵野台地がリアス式海岸のように
えぐれた岬の突端というのが正しいいい方か。
幡ヶ谷丘陵の南方に突き出した半島の端で、
海の退きはじめた沼のようなところに面していた。
縄文時代は海水面が今より高かったので、
きっと海を望む高台だったのだと思う。
背後にはカシやナラの森が広がっていて、
その名残は境内にあるアカガシの大木が彷彿とさせる。
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昭和25年(1950)に渋谷区でここを発掘したところ
多数の遺物とともに、ロームを浅く掘りくぼめた住居と
その中に掘られた柱穴が発見されたことが掲示されている。
加曾利E式土器が出土され、
この住居には約4500年前に
人が住んでいたという。
その住居跡が境内に復元されている。
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住居跡は柵に囲まれた中に建っているので
外から観察するしかないのだけれど、
柵から住居跡までの距離はわずかなので、
あれこれ住居跡を観察できるのである。
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なかなか綺麗な住居跡だ。
以前じっくりと観察した本町田の遺跡公園に復元されている
住居跡は、もうすこし形がいびつだった気がする。
まあ、こういう復元も職人次第ということか。
きれいな円錐を描く茅葺き屋根に
入り口がひとつあり、
その上に煙抜きの窓がある。
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もう少し詳しい記載がこの柵の中に掲示されている。
4500年前といえば、縄文時代中期末にあたる。
縄文時代の中期後半には
東日本では地域色が顕著になるとともに
大規模な集落が出現して遺跡数もピークに達する。
その時代の遺跡ということなので、
きっと類似の遺跡はあちこちに転がっているのだろう。
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この手の遺跡の復元住居跡は、
他には多摩センターとかにもあるので
そのうちまた見学に行って比べてみよう。
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さて、神楽殿の脇には小さな展示館があり、
そこには発掘された遺物の一部が展示されているので、
最後に覗いてみた。

加曽利E式の土器などが出土品があれこれ展示されている。
それ以前の勝坂式に比べるとどこか淡白でシンプルなモチーフに変わるのだが、
何か変化がそこにあったのか?

そして土器の手前には直径10cm程の石棒がごろんと横たわっている。
中沢新一が指摘したそのままの光景だった。
石棒と八幡神社。
縄文の聖地と神社のコンビ。
古代の市債跡がいまでも信仰の場になっているのは
とっても面白いことなのであった。


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by darjeeling_days | 2020-01-17 13:50 | Ancient monument:遺跡 | Comments(0)

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