訃報
2021年 11月 26日
今日、高校時代のフォークソング部の仲間から、Fさんの訃報が届いた。本当に突然のことで、ショックを受けた。
Fさんは、小学校4年から高校3年まで、ずっと一緒の学校で過ごした、いわゆる青春時代の友人だ。しかも、高校時代は同じフォークソング部に在籍していたことから、家が近所だったこともあり、部活が終わると一緒に帰ったりもした仲だった。そんな彼女が、病気のため19日に逝去したということだった。
友人には元気な姿をそのまま記憶に留めてほしいと希望したため、病気のことは家族と、僕に訃報を伝えてくれた彼女の親友Kさんのみにしか知らされておらず、24日にとりおこなったという葬儀も、そのメンバーのみ参加して執り行われたという。
小学校・中学校と、知的で大人びた彼女は、学校の男子生徒からも人気があり、みなどこかで彼女にあこがれを抱いていたはずだ。バスケットボール部に所属していたので、活発でスポーツ上手のイメージもあった。
Fさんは、小学校4年から高校3年まで、ずっと一緒の学校で過ごした、いわゆる青春時代の友人だ。しかも、高校時代は同じフォークソング部に在籍していたことから、家が近所だったこともあり、部活が終わると一緒に帰ったりもした仲だった。そんな彼女が、病気のため19日に逝去したということだった。
友人には元気な姿をそのまま記憶に留めてほしいと希望したため、病気のことは家族と、僕に訃報を伝えてくれた彼女の親友Kさんのみにしか知らされておらず、24日にとりおこなったという葬儀も、そのメンバーのみ参加して執り行われたという。
小学校・中学校と、知的で大人びた彼女は、学校の男子生徒からも人気があり、みなどこかで彼女にあこがれを抱いていたはずだ。バスケットボール部に所属していたので、活発でスポーツ上手のイメージもあった。
そんな彼女とは、中学時代からあれこれ話をする仲ではあったが、高校に入学して同じフォークソング部に所属するようになってからは、不真面目な僕は、楽曲の練習そっちのけで、いつもFさんやKさんとおしゃべりに興じていた。ズバズバと物を言う彼女は、まさに姉貴的な存在で、高校2年の秋に居場所がなくなった僕がフォークソング部を去り数名の親友がいた写真部に移籍するまで、よく遊んでもらったものだった。上の写真で僕と一緒にギターを弾いているFu君(右側)と、Fさん、Kさんは大人になっても呼び捨てでお互いを呼び合うほど仲が良くて、時々その間に僕も入れてもらって、なんだかわけのわからない、たわいもない話に笑い転げたものだった。大切な青春時代の一コマだ。2015年6月にやはり病気で先に旅立ってしまったFu君の葬儀の際に、連絡をくれたのを昨日のように思い出す。
高校を卒業した後、僕は自分の生活に必死だったため、彼女とは音信が途絶えてしまったが、会社に入社した年の5月に、新人向けの研修が終了した後同期と銀座でお茶をしていた時に、ばったりと彼女に会った。彼女は短大を卒業し、すでに社会人として働いていて、社会に出たばかりの僕からすると、その外見はなんだかはっきりと違う世界のお嬢さんという印象だったのだけれど、でも、「あれー、〇〇君?ひさいしぶりね!」と声を掛けられ話をしてみたら、昔とちっとも変っていない彼女がそこにいて、なんだかとても嬉しかったことを今でも覚えている。その後なんどか待ち合わせしてお茶をしたり、中学の同窓会の幹事を一緒にしたりしたが、彼女に最後に会ったのは、10年前の中学の同窓会後に反省会と称して集まった幹事の飲み会の時だった。
まさか、あの明朗で活発な彼女がいなくなってしまうだなんて、まったく思っていなかっただけに、知らせを受けてかなりショックを受けた。連絡をくれたKさんは、Fさんと本当に仲良かったので、Kさんの悲しみはいくばくかと。このところ、小中高と学校時代をともに過ごした仲間の訃報をよく耳にする。還暦を越し、そんな年ごろなのだろうか。Fさんほどかかわりのあった友人たちではないけれど、そんな訃報に出会う度に、青春時代の多くの時を共有した仲間が、また旅立つのは本当に悲しいことだと思う。
特にFさんとは共有した時間が多いだけに、様々なことを感謝しなければならない。あの頃彼女と話をしたことでどれだけ僕が成長できたか、感謝してもし足りないのだ。本当にありがとう。ぽっかりと心に空いた穴は、Kさんほど大きくないにしろ、やはりぽっかりと開いてしまっている。それを埋めるには、まだまだ時間が沢山必要なのだろうけれど、彼女の人生が、せめて充実したものであったことを慰めにしたい。
そしていまは心から、ご冥福をお祈りします。
高校を卒業した後、僕は自分の生活に必死だったため、彼女とは音信が途絶えてしまったが、会社に入社した年の5月に、新人向けの研修が終了した後同期と銀座でお茶をしていた時に、ばったりと彼女に会った。彼女は短大を卒業し、すでに社会人として働いていて、社会に出たばかりの僕からすると、その外見はなんだかはっきりと違う世界のお嬢さんという印象だったのだけれど、でも、「あれー、〇〇君?ひさいしぶりね!」と声を掛けられ話をしてみたら、昔とちっとも変っていない彼女がそこにいて、なんだかとても嬉しかったことを今でも覚えている。その後なんどか待ち合わせしてお茶をしたり、中学の同窓会の幹事を一緒にしたりしたが、彼女に最後に会ったのは、10年前の中学の同窓会後に反省会と称して集まった幹事の飲み会の時だった。
まさか、あの明朗で活発な彼女がいなくなってしまうだなんて、まったく思っていなかっただけに、知らせを受けてかなりショックを受けた。連絡をくれたKさんは、Fさんと本当に仲良かったので、Kさんの悲しみはいくばくかと。このところ、小中高と学校時代をともに過ごした仲間の訃報をよく耳にする。還暦を越し、そんな年ごろなのだろうか。Fさんほどかかわりのあった友人たちではないけれど、そんな訃報に出会う度に、青春時代の多くの時を共有した仲間が、また旅立つのは本当に悲しいことだと思う。
特にFさんとは共有した時間が多いだけに、様々なことを感謝しなければならない。あの頃彼女と話をしたことでどれだけ僕が成長できたか、感謝してもし足りないのだ。本当にありがとう。ぽっかりと心に空いた穴は、Kさんほど大きくないにしろ、やはりぽっかりと開いてしまっている。それを埋めるには、まだまだ時間が沢山必要なのだろうけれど、彼女の人生が、せめて充実したものであったことを慰めにしたい。
そしていまは心から、ご冥福をお祈りします。
by darjeeling_days
| 2021-11-26 22:45
| life:生活一般
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