高幡不動へ
2022年 05月 04日
毎年恒例の高幡不動。例年は正月に詣でていたのだけれど、去年5月に車を買い替えた際に、5月に護摩祈祷してから、なぜか5月詣でになってしまった。やはり本当は正月に詣でるのがいいのだろうけれど、まあ、GWの天気の良い日に、高幡不動詣でも悪くはない。
我が家からは、多摩センターで多摩モノレールに乗り換えて、高幡不動駅まで。そこからちょっと閑散としている参道をまっすぐ高幡不動へ。浅草浅草寺の仲見世とか、柴又の帝釈天とか、長野の善光寺とか、この手のお寺は、参道が楽しみなのに、高幡不動の参道は、ちょっと淋しいのだ。強いてあげれば、Cafe De Dango(和カフェ)、門前茶屋 千寿庵(レストラン)、開運そば支店 四八天丼(天丼屋)、そば処 開運そば 高幡不動店(蕎麦屋)、高幡 不動せんべい 開運堂(煎餅屋)ぐらいだろうか。なんで、こんなに閑散としているんだろう。もう少し土産屋とか買い食いのできる店とかがないと、なんだか淋しい。
ただし、参道から正面に見える高幡山明王院金剛寺の仁王門の仁王尊は室町時代の作、楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆。そんなすごいものが、目の前に現れるのだから、まあ参道の淋しさには目をつぶろうではないか。
我が家からは、多摩センターで多摩モノレールに乗り換えて、高幡不動駅まで。そこからちょっと閑散としている参道をまっすぐ高幡不動へ。浅草浅草寺の仲見世とか、柴又の帝釈天とか、長野の善光寺とか、この手のお寺は、参道が楽しみなのに、高幡不動の参道は、ちょっと淋しいのだ。強いてあげれば、Cafe De Dango(和カフェ)、門前茶屋 千寿庵(レストラン)、開運そば支店 四八天丼(天丼屋)、そば処 開運そば 高幡不動店(蕎麦屋)、高幡 不動せんべい 開運堂(煎餅屋)ぐらいだろうか。なんで、こんなに閑散としているんだろう。もう少し土産屋とか買い食いのできる店とかがないと、なんだか淋しい。
ただし、参道から正面に見える高幡山明王院金剛寺の仁王門の仁王尊は室町時代の作、楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆。そんなすごいものが、目の前に現れるのだから、まあ参道の淋しさには目をつぶろうではないか。
仁王門を通り過ぎると、左手に手水舎、正面に常香炉があり、その後ろに、康永元年(1342年)山中から移建された護摩祈祷の行われる不動堂がある。
不動堂は清和天皇に勅願によって、慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として山中に建立したが、建武2年(1335年)8月4日夜の暴風雨により倒壊したため、当山中興第1世儀海上人が現在のところに移建したお堂で東京都最古の文化財建造物だといわれる。
不動堂は清和天皇に勅願によって、慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として山中に建立したが、建武2年(1335年)8月4日夜の暴風雨により倒壊したため、当山中興第1世儀海上人が現在のところに移建したお堂で東京都最古の文化財建造物だといわれる。
お寺の本堂の前に、備え置かれている常香炉。参拝者の方がお線香をあげるために置いてある。常香炉の煙を浴びるのは、身体のけがれを落とし、清らかな身で観音様にお参りするための儀式なのだとか。煙を浴びると体の悪いところが良くなるという話もあり、僕が物心ついて初めて認識した常香炉は、中野区の新井薬師だった。熱心に頭がよくなりますようにとかお祈りしたけれど、結果は、残念に終わっている。健康ではあるけれど。
この不動堂の中にも大きな不動明王が鎮座しているのだが、本物?の不動明王はさらに裏にある奥殿に鎮座している。この不動三尊像は、千年ぶりの修復を終えた丈六不動三尊像だ。総重量1100キロを超える巨像で古来日本一と伝えられている不動三尊像で、足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれて鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊祟をあつめ、江戸時代には関東十一檀林に数えられ、火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめたという。
高幡不動には、そのほかにも五重塔や大日堂は高幡山の総本堂、聖天堂、大師堂、上杉憲顕の墳など、見どころが多い。
僕らは、11時半からの護摩祈祷を受けるために不動堂の上にあがり、お経を聞きながら、赤々と燃え盛る護摩を眺めた。そして、順番にお不動様のすぐそばまで行って、お祈りできるのが特徴。見上げる巨大な不動明王は、しっかりと僕らを守ってくれるそんな力強い仏像だった。
僕らは、11時半からの護摩祈祷を受けるために不動堂の上にあがり、お経を聞きながら、赤々と燃え盛る護摩を眺めた。そして、順番にお不動様のすぐそばまで行って、お祈りできるのが特徴。見上げる巨大な不動明王は、しっかりと僕らを守ってくれるそんな力強い仏像だった。
by darjeeling_days
| 2022-05-04 12:30
| temple:寺院
|
Comments(0)