懐かしの町田へ
2022年 07月 31日
久しく町田に来ていなかった。最後に来たのは、2018年3月の駒沢敏器の墓参の帰りだから、もう4年も間が空いてしまっていたということか。そりゃずいぶん来ていなかったのだなあ。久しぶりに歩く町田の駅前も、昔懐かしの店がある一方、あれ?あの店がないというところが多くて、なんかとても不思議な気分だった。
町田は10歳から30歳まで住んだ、いわゆる今の僕のベースを作る時期に育った町だ。その後、相模大野、南大沢へ移り、いまや南大沢が一番長い間住んでいるのだけれど、それでも、故郷という言葉で思い浮かぶのが”町田”なのである。
上の写真は、僕が高校の頃までは平和相互銀行だった。三井銀行に吸収されて店舗が閉店し、その後マクドナルドになって今に至る。町田駅界隈では象徴的なビルだった。
町田は10歳から30歳まで住んだ、いわゆる今の僕のベースを作る時期に育った町だ。その後、相模大野、南大沢へ移り、いまや南大沢が一番長い間住んでいるのだけれど、それでも、故郷という言葉で思い浮かぶのが”町田”なのである。
上の写真は、僕が高校の頃までは平和相互銀行だった。三井銀行に吸収されて店舗が閉店し、その後マクドナルドになって今に至る。町田駅界隈では象徴的なビルだった。
驚いたのは、その斜め向かいにあった”マルカワ”が無くなっていたこと。マルカワは、町田に住んでいた若者がなからず行ったことがあるはずのジーンズの店だった。例にもれず、僕も初めてジーンズを買ったのはマルカワだった。なんでも去年の3月に本店を閉店し、今は座間店、湘南店、藤沢湘南台店が残るだけになったという。でも、オンラインショップは健在らしい。
そしてマルカワの跡地はいまはパソコン工房に変身。パソコン工房は、ゲーミングパソコンを中心としたBTOパソコンの店。最近勢力を伸ばしているという。ちょっと店のネーミングがべたすぎるので、マウスコンピュータに比べるとずいぶん近づきにくいけれどね。
その横を通って久美堂方面に進むと、右手に金子園 町田店がある。ここは、僕が中学の頃からある町田の老舗だ。お茶の店であるにもかかわらず、ここの営業がえぐいので有名だった 笑。以前は大量にほうじ茶の匂いを垂れ流し、道行く人にほうじ茶をふるまい、割と強引に茶を買ってと勧誘するお茶屋さんだったのだ。今でも店頭で茶をふるまっているのは変わらなかった。
その向かい側の路地は、駒沢敏器と出会いMorgen Roteが生まれた喫茶店K&Aがあった場所だ。高校3年の時につぶれたK&Aの後には、カフェドサンパという喫茶店ができたのだが、いつの間にかなくなって、いまは串カツでんがなになっていた。串カツでんがなは、最寄り駅にもあるなじみの店。チープな作りでコスト削減しているから、あちこちにチェーン展開できるのだろうか。
その並びの路地に迷い込むと、なんとあの有名な(さんざん息子に”うまい”と聞かされたので)Shogun Bugerがあった。こんなところに?という感じだ。どうやら11時半開店らしく、それを待つ若者たちが開店を待っていた。いつか食べてみたいのだが。
その先に進むと、Hotel新宿屋が健在だった。町田はその昔、八王子に集積した絹を横浜に運ぶ絹の道が通っていた街道筋。そこに旅籠としてできたのが、この新宿屋。創業明治38年の町田一の老舗だといえる。一時期はラブホテルとも呼ばれていたが、今はれっきとしたビジネスホテルだ。小~中学生のころ通っていた学習塾で、一緒だった友達の中に、新宿屋の息子がいたっけ。それ以来会っていないけれど、いまはここの社長だろうか?
そしてその向かい側には、久美堂(書店)が健在だった。あか抜けない田舎の書店だったから、僕らはもっぱらジョルナにあった有隣堂(いまはモディ=昔の大丸に入っている)ばかり行ってたけれど、今もまだそんなあか抜けない田舎の雰囲気が濃厚に残っていて、逆にうれしく感じるのだった。思わず店内を一周してしまった。
今度は旧町田街道をJR町田駅方面へ向かう。旧町田街道には、昔”吉川百貨店”とか”長崎屋”があって、町田のメインストリートだったのだが、今では、飲食店ばかりになってしまった。ずんずん進むと大きな道路に突き当たる。原町田大通りというらしい。昔はこんな道はなかったのだけれど、このおかげで町田駅前の混雑は若干緩和されることになったらしい。この道の開発でアーケードの昔ながらの商店街が一つ消滅したが(その商店街の入り口にあった北海道ラーメンの店がめちゃくちゃうまかったのを覚えている)、其の開発のおかげで、109(閉店してしまったが)ができたり、新規のビルが建ったりした。
東急ツインズは、健在だ。これは高校の頃にできたビルだったはず。東西に2つのビルがちょうど原町田大通りを挟んで立っている。JR町田駅の導入的な位置づけのビルでもある。いまは東急ハンズがここに移転してきたのだが、以前は町田バスターミナルのビルが1棟東急ハンズだったっけ。
その前の道をジョルナ方向に進む。町田では有名な”駆け抜け通り”だ。町田にはむかし小田急の新原町田とJRの原町田の二つの駅があり(今は両方とも町田駅になったが、位置は変わらず。駅を結ぶデッキができたので、駅間を移動する人は、そっちを通るので、ここは使わず。)、その間が若干離れていたため、乗り換えの人たちはここを走ってもう一つの駅に行ったことから名付けられた。今では、立派な”町田ターミナルロード”なんていう名前がついている。町田一の繁華街地域だろうか。ここも新旧入り乱れていろんな店がある。知らない間に、ラーメン屋がたくさんできていたなあ。
そしてジョルナ。この商業施設には、本当にお世話になった。このビルの上には、昔有隣堂と新星堂があって、本とレコードを物色できた。さらにノイズといういJAZZ喫茶もあって、StaffとかWether Report、スクエアなどの曲が良くかかっていた。中学時代に交換日記をした女子は、その後、別の高校に行ってしまったのだけれど、ある日、彼女がここのCMポスターモデルに起用されて、一時期ジョルナが彼女の顔であふれていたことがあって、なんかキュンとしたのをよく覚えている。美人さんだったものねえ。
そしてこれまた老舗の喫茶店”ロッセ”。K&Aが無くなって行き場がなくなった僕らは、カフェ・グレができるまでの間、あちこちを放浪していたのだけれど、美味しいコーヒーが飲める店として筆頭に掲げられていたのが、このロッセだ。そういえば、カフェドサンパのマスターは、ロッセ出身だったのではなかったか。当時かなり年配だと思っていたロッセのマスターが、まだ健在だったのには驚いた。もう80台後半ではないのかなあ。自家焙煎の店などまだまるっきりなかったころから、ここでは自家焙煎珈琲を出していて、”ドンゴロス”(コーヒー豆を入れる麻の袋)という言葉を知ったも、僕がコロンビア好きだと認識したのもロッセだった。
そして、仲見世通り。ここも懐かしい。入口の焼き小籠包の店は、あちこちで取材されているらしく、今日も列ができる人気ぶり。昔は大判焼きの店だった記憶がある。エスニック風の料理店や寿司屋など、割と新しい店もいくつかはいっているのだが、それにしても、シャッターの降りた店が多いのは、なんか残念だ。こういうディープな市場通り的な商店街は、ずっと残っていて欲しいのだけれどなあ。
この後、仲見世の中央に位置する”七面”でいつものタンメンを食べたのだった。
この後、仲見世の中央に位置する”七面”でいつものタンメンを食べたのだった。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> はなちゃんさん
コメントありがとうございました。なかなか更新が追い付かないblogなので、お返事も遅くなってしまい、申し訳ありません。
町田によく行かれていたのですね。僕は10歳から30歳までの20年間、町田で育ち成人したので、ほぼ町田が故郷のような場所です。東急ハンズも移転して、バスターミナルの方のビルもすっかり変わりましたね。
未だに、年に一度程度、カフェ・グレに立ち寄るので、町田には訪問するのですが、もっと頻繁に行きたい町です。
コメントありがとうございました。なかなか更新が追い付かないblogなので、お返事も遅くなってしまい、申し訳ありません。
町田によく行かれていたのですね。僕は10歳から30歳までの20年間、町田で育ち成人したので、ほぼ町田が故郷のような場所です。東急ハンズも移転して、バスターミナルの方のビルもすっかり変わりましたね。
未だに、年に一度程度、カフェ・グレに立ち寄るので、町田には訪問するのですが、もっと頻繁に行きたい町です。
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> はなちゃんさん
どこかですれ違っていたのかもしれませんね。
プラモデルや模型ではあまり遊ばなかったので、そのお店は記憶にありません。
高校時代3年間毎日のように通っていたK&Aという喫茶店が、
最大の思い出です。
どこかですれ違っていたのかもしれませんね。
プラモデルや模型ではあまり遊ばなかったので、そのお店は記憶にありません。
高校時代3年間毎日のように通っていたK&Aという喫茶店が、
最大の思い出です。
by darjeeling_days
| 2022-07-31 11:25
| walking:散歩
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Comments(4)
















