坂を散歩する
2022年 09月 13日
久しぶりに市ヶ谷で降りてオフィスまで歩いた。歩いた時間は30分程度。距離にして1.5km。これでは歩いたことにならんわいなあ。昔は5㎞はあるいてたのだけれど。もう少しすずしくなったら新宿から歩くかな。
で、市ヶ谷側から麹町、番町方面へは登りになる。市ヶ谷は外堀の一角にあたるので、高台になっている麹町へは、登らざるを得ないわけだ。おのずと坂があれこれあって、江戸時代から残されている坂にはあれこれ由来が書かれているのが面白い。
半蔵門周辺の坂については一度書いているのだけれど、今日歩いてみて、なんかそのネーミングがとっても面白いことに気が付いたのだ。意外と人間の名前がそのままついてたりする。
で、市ヶ谷側から麹町、番町方面へは登りになる。市ヶ谷は外堀の一角にあたるので、高台になっている麹町へは、登らざるを得ないわけだ。おのずと坂があれこれあって、江戸時代から残されている坂にはあれこれ由来が書かれているのが面白い。
半蔵門周辺の坂については一度書いているのだけれど、今日歩いてみて、なんかそのネーミングがとっても面白いことに気が付いたのだ。意外と人間の名前がそのままついてたりする。
まず、市ヶ谷からすぐ登ったところにある坂が、「帯坂」。これはちょっと怖い坂で、「いち~まい、に~まい」と皿を数えるという例の怪談「番町皿屋敷」の主人公お菊が、紙を振り乱し、帯を引きづってここを駆け抜けたから「帯坂」と名前が付けられたらしい。だけど、お菊は井戸に投げ入れられて、井戸で皿をかぞえているのだから、ここを駆け抜けるというのはおかしな話ということが、ここの坂の説明に書かれている。ちなみに、番町皿屋敷とこんがらがる話に播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』(姫路城にその井戸が残っている。)があるが、べつものだ。
もう少し四谷方面にいくと、例のお岩の怪談(四谷怪談)が有名な稲荷神社があるけれど、そのお岩がとおったという話もある。いずれにせよ、階段の主人公になるような怨念の塊みたいな幽霊が通った道という話はちょっと怖い。知らずに登って来て、その坂の一番上にこの標識があるのがなんとも腰砕けだ・・・。
もう少し四谷方面にいくと、例のお岩の怪談(四谷怪談)が有名な稲荷神社があるけれど、そのお岩がとおったという話もある。いずれにせよ、階段の主人公になるような怨念の塊みたいな幽霊が通った道という話はちょっと怖い。知らずに登って来て、その坂の一番上にこの標識があるのがなんとも腰砕けだ・・・。
そこから進路を東にとり、番町の高級マンション群の間を抜ける。駅からちょっと離れていて、坂をのぼらんといかん、こんな高台がなぜ、皆が住みたがる番町のマンション群なのか?地盤がしっかりしているというのはその通りなのだろうけれど、ちょと不便。まあ、こんなところに住む人たちは、みな運転手付くの車でどこかへ行くのだろうから、そんなことは気にしないのか?ともあれ、ガレージには外車があれこれと並んでいるのが、ここいらが庶民の世界とは別世界であることを実感させられる。
東郷元帥記念公園まで行き、こんどは南に折れる。この公園、工事中で入れないのが残念。この近隣は、意外と昔から文化人が住んでいたんのだけれど、そういえば串田孫一の住居跡があったよなときょろきょろしていたら、丁度通りかかったミニパトの婦警さんに変な目で見られてしまった。職質されないでよかった 笑
東郷元帥記念公園まで行き、こんどは南に折れる。この公園、工事中で入れないのが残念。この近隣は、意外と昔から文化人が住んでいたんのだけれど、そういえば串田孫一の住居跡があったよなときょろきょろしていたら、丁度通りかかったミニパトの婦警さんに変な目で見られてしまった。職質されないでよかった 笑
南に向かうといったんぐんと坂を下るのだが(東郷坂というらしい)、公園が途切れ番町学園通りを渡ったあたりから再び上りになる。この辺りは標識を見落としてしまったのだが、「行人坂」とよばれているらしい。
なんでも江戸時代の古い本には、古某法印という行人が近所に住んでいたからこの名が付いたと書かれているらしい。法印という人は結構住んでいたのだろうか。
なんでも江戸時代の古い本には、古某法印という行人が近所に住んでいたからこの名が付いたと書かれているらしい。法印という人は結構住んでいたのだろうか。
行人坂を上り、番町文人通りを渡ると、一転今度は下りになる。個々には名前が書かれていないが「法眼坂」というらしい。番町中央通りからさらにその勾配が増すのだが、ここから坂は「南法眼坂」と名前を変える。法眼とは、先の行人「古某法印」と同じ人「斉藤法眼」をさすのだという。ちょうどこの坂の途中には、どこかの企業の立派な寮があって、すごいなあという感じなのである。
ところで、後で知ったのだけれど、東郷坂、行人坂、そして南法眼坂は、一つの坂として認識され「南法眼坂」と呼ばれることもあるらしい。もともとは「法印坂」だったらしいけれど、それがなまって法眼坂になり、一番南の坂なので、南法眼坂と呼ばれているという話もどこかに書かれていたっけ。
これを下りきるともはや、ランチタイムのテリトリーに突入だ。突き当りを左に折れると、半蔵門線の半蔵門駅の一番北側の入り口付近にたどり着く。
半蔵門駅前通りというところにぶち当たりそこを北に進むのだが、僕がよくいくパン屋”ル・グルニエ・ア・パン 麹町店”あたりまでは結構な登坂になっている。
半蔵門駅前通りというところにぶち当たりそこを北に進むのだが、僕がよくいくパン屋”ル・グルニエ・ア・パン 麹町店”あたりまでは結構な登坂になっている。
この坂は永井坂と呼ばれるらしい。坂が長いから長い坂が変化して永井坂になったらしいというのは真っ赤なうそで、この辺りに永井兄弟という旗本が住んでいたからそこから名付けられたらしい。なにやら兄弟と聞くと、悪いことしてたか、逆に善行をおこなって有名になった兄弟かなどと思ってしまうが、あまり関係ないらしい。
地下鉄半蔵門線の改札を結ぶ地下道は勾配もなく、南北をまっすぶに貫いているので、たとえば、欧風カレーアラカンパーニュなどへ行くときは、これらの坂を通らずに、半蔵門線の地下道を通った方が、楽だというのを最近しった。坂の下をぶち抜いているのは面白いなあ。
地下鉄半蔵門線の改札を結ぶ地下道は勾配もなく、南北をまっすぶに貫いているので、たとえば、欧風カレーアラカンパーニュなどへ行くときは、これらの坂を通らずに、半蔵門線の地下道を通った方が、楽だというのを最近しった。坂の下をぶち抜いているのは面白いなあ。
そんなわけで短い距離だが、ふらりと「ブラタモリ」的に歩くとなかなか面白い朝散歩なのであった。しかし、江戸は江戸時代以前の遺構が少ないのが玉に瑕。あ、でも貝塚から取った貝坂があったっけ。貝塚がこの辺にあるというのはなんとも面白い。縄文海進と、弥生の海退大きく人の住む地域も変わったのだろう。
そんなことを考えながらぶらぶら歩いた朝だった。
そんなことを考えながらぶらぶら歩いた朝だった。

by darjeeling_days
| 2022-09-13 06:45
| walking:散歩
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