旧高畠駅見学
2022年 09月 20日
道の駅米沢から向かったのは、今日の宿のある赤湯温泉(南陽市)の一つ米沢寄りにある東置賜郡高畠町にある「旧高畠駅」だ。
1922年(大正11年)に高畠鉄道が開通し、その際にできたのがこの高畠駅だったらしい。
その後昭和9年に木造だった駅舎が、立派な高畠の地元産の高畠石(近所にある瓜割石庭公園から採掘されたもの)造り建築に建て替えられたという。その駅舎がこの建物というわけだ。
その後昭和9年に木造だった駅舎が、立派な高畠の地元産の高畠石(近所にある瓜割石庭公園から採掘されたもの)造り建築に建て替えられたという。その駅舎がこの建物というわけだ。
1943年(昭和18年)からは、地方鉄道『山形交通高畠線』として運行されたらしいが、車の発達により電車の利用が減り、1974年(昭和49年)に廃線となったので、いまは「旧高畠駅」として、名所になっている。
明治時代には、製糸業が栄えていたらしく、その製品を輸送するために奥羽線の高畠駅(旧糠ノ目駅(ぬかのめえき))とつなぐ高畠鉄道が誕生したらしいが、それって八王子に集積した生糸を絹の道の代わりに横浜線で運送するようになったのと同じだなあなどと地元事情を絡めて”ほう”と思ったりした。
その後、宮城県七ヶ宿町湯原鉱山・二井宿の二重坂や金原鉱山の鉱石、二井宿・高畠の木材、木炭、牛、乳製品、石材、高畠・屋代の製糸、米、西洋梨・林檎・葡萄などの果物などの輸送が盛んに行われ、また、人々の足としてその役を担っていたらしい。横浜線との大きな違いは、トラック輸送にとってかわられてしまったために廃線になったことか。
その後、宮城県七ヶ宿町湯原鉱山・二井宿の二重坂や金原鉱山の鉱石、二井宿・高畠の木材、木炭、牛、乳製品、石材、高畠・屋代の製糸、米、西洋梨・林檎・葡萄などの果物などの輸送が盛んに行われ、また、人々の足としてその役を担っていたらしい。横浜線との大きな違いは、トラック輸送にとってかわられてしまったために廃線になったことか。
この路線を走っていた車両は、この建物の左側に保存されている。電気機関車、貨車、電車角一輌が並んでいるので、鉄道ファンには嬉しい保存なのだと思う。ちなみに、当時の路線あとは、「まほろばの緑道」として保存されているという。
旧高畠駅舎
住所:山形県東置賜郡高畠町高畠1568
電話:0238-52-1111(高畠町文化課)
住所:山形県東置賜郡高畠町高畠1568
電話:0238-52-1111(高畠町文化課)

by darjeeling_days
| 2022-09-20 14:00
| travel:旅
|
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