山寺へ(立石寺を登ってしまった…。)
2022年 09月 21日
10時半ごろ瀧波をチェックアウト。今日の天気は曇り。もう少し予報では良い天気になるはずだったのだが、台風一過の秋晴れにはならず残念。
今日の最初の目的地は、山寺へ。かの有名な松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と呼んだ、山寺である。もはやこの辺りはコスモスの咲く秋で、セミの声は聞こえなかったけれど。
山寺の正式名所は、「宝珠山立石寺」。天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立さた。慈覚大師といえば、伝教大師最澄の弟子。だから、この寺は、比叡山延暦寺の姉妹的な立ち位置の寺だ。この地を訪れた慈覚大師は土主から砂金千両・麻布三千反でこの山を買い取り、堂塔三百余を立てて東北での布教を行ったのが始まり。開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となったという。
僕らは、この寺院の本堂である根本中堂近くに車をとめたので、下から階段を登ることはなかったけれど、駅から歩くと第一弾の階段上りから始まり、ここに到着する。本堂らしく大きな建築物で、不滅の法灯はここでともされているらしい。比叡山延暦寺には10年ぐらい前に写真仲間と行ったけれど、確かに似たような感じだったなあ。
根本中堂は延文元年(1356年)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材が全体の6割程用いられブナ材の建築物では日本最古なのだとか。
今日の最初の目的地は、山寺へ。かの有名な松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と呼んだ、山寺である。もはやこの辺りはコスモスの咲く秋で、セミの声は聞こえなかったけれど。
山寺の正式名所は、「宝珠山立石寺」。天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立さた。慈覚大師といえば、伝教大師最澄の弟子。だから、この寺は、比叡山延暦寺の姉妹的な立ち位置の寺だ。この地を訪れた慈覚大師は土主から砂金千両・麻布三千反でこの山を買い取り、堂塔三百余を立てて東北での布教を行ったのが始まり。開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となったという。
僕らは、この寺院の本堂である根本中堂近くに車をとめたので、下から階段を登ることはなかったけれど、駅から歩くと第一弾の階段上りから始まり、ここに到着する。本堂らしく大きな建築物で、不滅の法灯はここでともされているらしい。比叡山延暦寺には10年ぐらい前に写真仲間と行ったけれど、確かに似たような感じだったなあ。
根本中堂は延文元年(1356年)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材が全体の6割程用いられブナ材の建築物では日本最古なのだとか。
根本中堂の前には大きな布袋様がいらして、体のあちこちを触る人がいるらしく、特におなかのあたりはつるつるだった。なんとなく本尊にお祈りするというよりも、この位置関係で拝むと布袋様を拝んでいるような感じになるのが、なんとも不思議だった。本当なら、この本堂の中にまつられているお薬師さんをお祈りするはずなのだけれど。薬師如来なので、家人の不調はだいぶ良くなったけれど、家人の回復をお祈りした。
根本中道から立石寺奥の院へ上る登山口方面へ向かうと、境内に時折いろいろな石像が現れる。最初に現れたのがこの小さな石像。なんとも趣のある雰囲気が良かった。
根本中道の左隣には、日枝神社がまつられている。この寺の守護神という位置づけ。比叡山延暦寺の守り神は日吉大社で、全国にある日枝神社・日吉神社は、日吉大社から魂をお分けした分霊社にあたる。なので、ここに日枝神社があるのは至極当たり前ということ。日枝神社は馴染みの神社なので、もちろんここでもお祈りしていく。
日枝神社から奥の院への登山口に向かうと、松尾芭蕉の像と句の石碑が立っている。有名な碑なのだが、割と暗い場所にちょこんとあって、ちょっと残念な感じだった。松尾芭蕉に関しては、山寺駅の方に立派な松尾芭蕉記念館があるらしいので、まあいいのかな?だけれど、教科書にも載っているこの句が、この場所で読まれたというのは、なんだかちょっとだけ印象と違う感じだ。東北ってもっと山奥の田舎の感じだったけれど、山寺は確かに山に作られているけれど、そんなに山深い感じがしないからだろうか。
さて、この山門が、山寺への登山口。いわゆる山門なのだけれど、ここから先はずっと石段が1070段も続く山道だ。家人は、この山門から覗いて、最初の石段を見ただけで「私は下で待っているから」と、数年前の夏にいった金毘羅さんと同じことをいいだした。まあ、仕方がない。僕だって上まで登る気はない。途中、五大堂という長めの良いところまで行って戻ってくるかなという感じだ。とりあえず上り下りで1時間家人には、茶屋で待っていてもらい、入山料300円を支払って石段を登ることにした。
なお、この先、奥の院近くの売店までトイレがないので、この山門の横にあるトイレには行っておいた方が良い。
なお、この先、奥の院近くの売店までトイレがないので、この山門の横にあるトイレには行っておいた方が良い。
山門を入るとすぐに石段が始まる。ひたすら上る。以前、和歌山の紀三井寺の231段の大石段でめげたことがあったので、やはり1070段なんて無理とかおもいながら、割とハイペースで登ってしまう。しかし、結構急な階段なので、だんだんへばっていくことになる・・・。
途中、姥堂を過ぎると、あちこちに石像などが立っていて、そんなものを写真に収めながら快調に登っていたはずなのだが、だんだん息が荒くなっていく。途中動画を回していたのだけれど、セミの声どころではなく、僕の激しい息遣いばかり記録されていて、生音声は待ったく使い物にならず 笑。
岩が飛び出した四寸道などもあり、見どころはあれこれだ。
途中、姥堂を過ぎると、あちこちに石像などが立っていて、そんなものを写真に収めながら快調に登っていたはずなのだが、だんだん息が荒くなっていく。途中動画を回していたのだけれど、セミの声どころではなく、僕の激しい息遣いばかり記録されていて、生音声は待ったく使い物にならず 笑。
岩が飛び出した四寸道などもあり、見どころはあれこれだ。
しばらく上ると、山肌に崖が露出し始める。一気に高度を稼いだ気分になるのだが、それに伴って息も荒くなる。ちょっと飛ばしすぎか。この辺りは修験者の道とされ、自然に沿って山を登っていく。一番せまいところは約14センチの四寸道で、開山・慈覚大師の足跡をふんで私たちの先祖も子孫も登るところから、親子道とも子孫道ともいわれる。
左上にそびえる百丈岩の上に、納経堂や開山堂、展望随一の五大堂がたっているらしい。
左上にそびえる百丈岩の上に、納経堂や開山堂、展望随一の五大堂がたっているらしい。
途中”せみ塚”なる看板が立っていた。閑さや岩にしみ入る蝉の声芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石の塚をたてたことから、これをせみ塚というのだそうだ。他にもたくさん石像や碑があるので、あまり”おお!”という感じがしなかった 笑。
そしてようやく仁王門だ。もうここまでですっかり息があがり、本気で引き返そうかと思う。ちょっとハイペースで登りすぎてしまったようだ。なにしろ、山門からせみ塚まで15分の所を、仁王門までで10分。でも、ここまで来たのだから五大堂まで行かないとなと思い、ここで5分ばかり休憩して息を整えた。ほんと、死ぬかと思うほどつらかった。
仁王門の中には、真っ赤な仁王様が踏ん張っていて、とても立派に見えた。気のせいか?嘉永元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、左右に安置された仁王尊像は、運慶の弟子たちの作らしい。
仁王門の中には、真っ赤な仁王様が踏ん張っていて、とても立派に見えた。気のせいか?嘉永元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、左右に安置された仁王尊像は、運慶の弟子たちの作らしい。
仁王門からさらに登り性相院までたどり着くと、もう一息だ。この上に金乗院・中性院・華蔵院の3院があり、その奥が奥の院だ。
ただ、ここで僕は左道にそれ、開山堂、納経堂を写真に収めることにした。ここは、立石寺を開いた慈覚大師円仁を祀るお堂で、大師の木造の尊像が安置されて居り朝夕食飯と香を供えている。 向かって左の岩の上の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で山内一古い建物らしい。岩の上に立っている姿は、なるほど山寺という愛称がつくゆえんである。これが一番見たかったので、結構な満足度だった。
開山堂、納経堂から反対側の山に目を転じると、そこには山肌にへばりつくようにいくつかの建物があった。一番高いところにあるのが釈迦堂。ただし、ここには一般客は行くことができない。修験道の人たちだけが、山肌の建物(胎内堂や釈迦堂など)へ行かれるらしい。
さて、一瞬ここで引き返すかとも思ったのだが、折角ここまで登ったのならもうひと頑張りして奥の院へ向かうのだと、自分に鞭をうち、登山を継続。五大堂は開山堂の奥の階段を登るのだが、そこは最後のお楽しみにしておくことにした。
金乗院・中性院・華蔵院などを過ぎる途中、赤いポストを発見。一日一回の回収らしいが、だれかここまで登ってくるのか?そして、その手前には売店があって、店員さん(若い女性)が働いているのが見えた。毎日登るの?すごいなあ。まあ最近では若者が結構気軽に本格登山をする時代だから、こんなところはへの河童なのかもしれない。
金乗院・中性院・華蔵院などを過ぎる途中、赤いポストを発見。一日一回の回収らしいが、だれかここまで登ってくるのか?そして、その手前には売店があって、店員さん(若い女性)が働いているのが見えた。毎日登るの?すごいなあ。まあ最近では若者が結構気軽に本格登山をする時代だから、こんなところはへの河童なのかもしれない。
山肌に点在する修行のための建物は、結構登るのが大変そうだった。
修行ねえ・・。それで悟りが開けるのだろうか?凡人で世俗にまみれている僕には、到底わかるはずもない世界の話。
修行ねえ・・。それで悟りが開けるのだろうか?凡人で世俗にまみれている僕には、到底わかるはずもない世界の話。
そしてついに奥の院到着だ。奥の院の建物は撮影禁止になっているらしく、カメラに収められるのはここまで。でも、奥の院の前にはテラスがあって、そこからの風景はOKということなので、撮影してみた。ここからはあまり見晴らしは良くなかったので、帰りに寄るつもりだった五大堂が楽しみだ。
登頂成功の”やった~”気分全開に、今度は下りだ。行きにはあまり目に入らなかったあれこれが、帰りには目に入る。素通りした売店では、いろいろなものが売られていて、みな、ここでタオルをかうのだとか。珍しいからというよりも実用に必要ということらしいけれど。奥の院の文字入りのタオルなら、僕も買えばよかったなあと後から思ったりした。一応念のためトイレによって、再び下山。
先の開山堂右手奥に急な石段があり、それを登りきると展望の良い五大堂へ到着できる。途中、小さな仏像がまつられていたりして、フォトジェニックだ。仏教徒の方には申し訳ないが、今日は物見遊山。いわゆる観光なので、こういう仏様は鑑賞の対象になる。土chリアかというとインドあたりの仏像の雰囲気が漂う小さな仏様だった。
石段を登りきると、そこには岩にせり出すように屋根付きのテラス状の建物がある。これが五大堂だった。テラスの先端からは、山寺駅方面は見渡せる。まさに絶景だった。そうそう、これが見たかったんだよね。なんだか頑張って一番上まで登ってしまったけれど、山寺といえばこの風景。ここだけは外せないのだ。
石段を登りきると、そこには岩にせり出すように屋根付きのテラス状の建物がある。これが五大堂だった。テラスの先端からは、山寺駅方面は見渡せる。まさに絶景だった。そうそう、これが見たかったんだよね。なんだか頑張って一番上まで登ってしまったけれど、山寺といえばこの風景。ここだけは外せないのだ。
さて、ここからは帰路へ。ひたすら山門まで下る。下りは膝に来るとか、足に負担がかかるというが、登り切った達成感の余韻があって、下りは全然苦にならず、何人も追い抜いて下ってきたのだった。
あんなにへばって辿り着いた仁王堂も、岩に貼りる供養に立つお堂や紅葉し始めている木々も、帰路だとちゃんと目に入るから不思議なものだ。余裕がないと目に入らないものがいろいろとあるんだなという、そんな教訓を得た気分だった。
目に入らないといえば、往路ですっかりスルーしてしまったのが、「弥陀洞」だった。仁王門に向かう最後の階段手前右側にあるのに、それすら目に入らずに、ぜいぜい言いながら石段を登った結果、往路でスルー。帰路で目に入るという始末。
ながい歳月の雨風が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出したといわれる場所。1丈6尺(約4.8メートル)の姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には、幸福がおとずれるという。ふむ、これ阿弥陀如来なのか?
岩に突き刺さった小銭がなんだか珍しかったなあ。
ながい歳月の雨風が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出したといわれる場所。1丈6尺(約4.8メートル)の姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には、幸福がおとずれるという。ふむ、これ阿弥陀如来なのか?
岩に突き刺さった小銭がなんだか珍しかったなあ。
そして山門・鐘楼まで戻ってきた。およそ1時間。結構五大堂で動画撮ったりしてたので、往復で1時間かかったけれど、やはり結構なハイペースだったようだ。
一応小さなお茶のペットボトルをポケットに入れて登ったのだけれど、さすがに下まで降りてきたらすっかりのどが渇き、山門前になった茶屋で、アイス抹茶をごくごく一気飲みしてしまった。ここで、家人と合流。駐車場に戻り、今日の宿の荷物整理をした後、別の茶屋で玉こんにゃく食べていたらしい。その玉こんにゃくがめちゃくちゃ美味しかったとのこと。ちょっと食べてみたいとも思ったけれど、あまりお腹が空いていなかったので、パス。
それにしても、この山に登ると、煩悩が消滅するというが、そうはならないのは、凡人であるがゆえんか。でも、なんだかまるでサウナに入った後のようなすがすがしさ。まさに整うというのは、こういうことなのかもしれない。サウナで整ったなんて言うのは、整ってはないのであって、山寺登ってちゃんと整うのが良いのである 笑。
それにしても、この山に登ると、煩悩が消滅するというが、そうはならないのは、凡人であるがゆえんか。でも、なんだかまるでサウナに入った後のようなすがすがしさ。まさに整うというのは、こういうことなのかもしれない。サウナで整ったなんて言うのは、整ってはないのであって、山寺登ってちゃんと整うのが良いのである 笑。
by darjeeling_days
| 2022-09-21 12:00
| temple:寺院
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