秩父神社
2023年 05月 12日
道の駅ちちぶでランチを済ませ、そこから至近距離の秩父神社に移動した。秩父神社の横にある参集殿の裏側に無料の参拝者用の駐車場があるので、そこに車を止めて(平日の昼過ぎなのに、結構車が止まっている。また駐車スペースの幅が狭いので要注意。)、正面に回って参拝する。
正面には大きな鳥居が設置され、中に入るとすぐ左手に手水舎がある。反対側には神馬舎があるが、普段伊勢神宮のように馬が繋がれているわけではなく、秩父夜祭の時に2頭の馬が繋がれるのだとか。
正面には大きな鳥居が設置され、中に入るとすぐ左手に手水舎がある。反対側には神馬舎があるが、普段伊勢神宮のように馬が繋がれているわけではなく、秩父夜祭の時に2頭の馬が繋がれるのだとか。
正面い進むと赤い神門がある。それを入ると、本格的に神社境内という雰囲気が増す。
そもそも、秩父神社は、秩父地方の総鎮守で、三峯神社と寶登山神社とともに秩父三社の一社として掲げられている。12月に催される例祭「秩父夜祭」は広く知られていて、秩父祭の屋台行事と神楽は、ユネスコ無形文化遺産に登録されているらしい。
境内は平らで広がりがあり、階段を登った先にある寶登山神社とは全く違う風情なのが面白い。
そもそも、秩父神社は、秩父地方の総鎮守で、三峯神社と寶登山神社とともに秩父三社の一社として掲げられている。12月に催される例祭「秩父夜祭」は広く知られていて、秩父祭の屋台行事と神楽は、ユネスコ無形文化遺産に登録されているらしい。
境内は平らで広がりがあり、階段を登った先にある寶登山神社とは全く違う風情なのが面白い。
正面には本殿、左側には境内社(お稲荷さん、日﨑神社、諏訪神社)などがあり、右手には柞の禊川や樹齢400年の銀杏の御神木、禍津日社などがあった。
本殿は、寶登山神社同様華やかな色彩が施され、見事な彫刻が本殿を取り囲んでいる。江戸時代初期に建てられた本堂は、後方部分の修繕工事が進行中だが、幸い、正面と両脇は工事が終わり、美しい色彩が蘇ったところだった。
崇神天皇の時代、初代の知知夫国造(ちちぶひこのみこと)である知知夫彦命が、祖神の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったことに始まる秩父神社は、武蔵國四ノ宮でもあり、古くから信仰されていたらしい。主祭神は八意思兼命の他に、創建した本人である八意思兼命の十世孫、知知夫彦命も祭られ、さらに鎌倉時代になって何故か天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が合祀され、現在はそれに昭和天皇の弟君である秩父宮雍仁親王も祭られているという。
八意思兼命という神様は、天照大神が岩戸に隠れた際に、他の神様を集め、岩戸の外に出すための知恵を授けた神様で、その後、国譲りでは葦原中国に派遣する神の選定を行うとともに、天孫降臨で邇邇芸命に随伴した神様でもある。すなわち、八意思兼命に記されるとおり、多くの思慮を兼ね備えている神様ということ。長野県の戸隠神社中社に祭られるほか、各地の神社でも合祀されているケースが多い神様だ。
本殿は、寶登山神社同様華やかな色彩が施され、見事な彫刻が本殿を取り囲んでいる。江戸時代初期に建てられた本堂は、後方部分の修繕工事が進行中だが、幸い、正面と両脇は工事が終わり、美しい色彩が蘇ったところだった。
崇神天皇の時代、初代の知知夫国造(ちちぶひこのみこと)である知知夫彦命が、祖神の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったことに始まる秩父神社は、武蔵國四ノ宮でもあり、古くから信仰されていたらしい。主祭神は八意思兼命の他に、創建した本人である八意思兼命の十世孫、知知夫彦命も祭られ、さらに鎌倉時代になって何故か天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が合祀され、現在はそれに昭和天皇の弟君である秩父宮雍仁親王も祭られているという。
八意思兼命という神様は、天照大神が岩戸に隠れた際に、他の神様を集め、岩戸の外に出すための知恵を授けた神様で、その後、国譲りでは葦原中国に派遣する神の選定を行うとともに、天孫降臨で邇邇芸命に随伴した神様でもある。すなわち、八意思兼命に記されるとおり、多くの思慮を兼ね備えている神様ということ。長野県の戸隠神社中社に祭られるほか、各地の神社でも合祀されているケースが多い神様だ。
そんな由来より(失礼なことを言っているが・・・。)、やはり秩父神社で特筆すべきは、其の本殿の社殿を彩る極彩の彫刻の数々だろう。江戸時代の初期に、日光東照宮の眠り猫で知られている左甚五郎が堀ったとされている。
その昔、秩父観音霊場札所十五番である少林寺の近くの天ヶ池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっていて、その伝説からこの彫刻自体を「繋ぎの龍」と呼ぶようになったという。
社殿の反対側には、お元気三猿が彫られている。去るといえば日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」を思い浮かべるが、ここの猿たちは全く逆で、「よく見て・よく聞いて・よく話す」ため、お元気三猿と呼ばれているらしい。
ちなみに、社殿裏にはちょうど工事をしていて見ることができなかったのだが、浮世絵「見返り美人」のように、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わず祭神を守る「北辰の梟」が彫られている。
そして本殿正面左側には、左甚五郎が彫ったとされる子虎とたわむれる「子宝 子育ての虎」が今もなおリアルに残されている。
古い彫刻に彩色するのはどうかとある意味思うものの、この姿が江戸初期に建て替えられた当時のままの姿と思うと、それはそれでありなんだろうなと思う。特に左甚五郎の作である日光東照宮の眠り猫も、色彩が施されているのを見ると、なるほどねと思ったりする。
古い彫刻に彩色するのはどうかとある意味思うものの、この姿が江戸初期に建て替えられた当時のままの姿と思うと、それはそれでありなんだろうなと思う。特に左甚五郎の作である日光東照宮の眠り猫も、色彩が施されているのを見ると、なるほどねと思ったりする。
最近では西武鉄道や秩父鉄道が秩父観光のCMを流すため、若い女性の人気が高まっていて、ここを音連れた女性向けに、「水占い」などもやっている。用意された占いの紙を一枚選び、柞の禊川に付けると、占いの結果が浮き上がってくるという、出雲の八重垣神社にあったのと類似する占いがあるのが面白かった。
境内の銀杏の御神木は、とても古く立派なもの。以前はもっと高くそびえていたらしいが、昭和41年9月の台風で幹が中ほどから折れてしまったという。このとき、社殿に甚大な被害が出たというのだから、相当大きい木だったということが分かる。
度の神社に行っても絵馬は必ず写真に収めるのだけれど、ここの絵馬は、見ることができなかった北辰の梟が図案化されている。このフクロウ、可愛いので、秩父神社正面左手に店を構える八幡屋本店(菓子屋)の「梟サブレ」のパッケージにも使われていて、神社の売店でも販売されていた。お菓子自体は鳩サブレみたいなものだけれど、なんともかわいい梟が、僕は気に入ったのだった。
by darjeeling_days
| 2023-05-12 13:10
| shrine:神社・稲荷神社
|
Comments(0)