日向薬師

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そのあと、ここまで来たのだからと、日向薬師まで登り、参拝することにした。歩いて登ることもできるが、結構階段が急送だったので、上にある駐車場までカブで登る。坂になっている駐車場なので、なかなかバイクが止めにくい。そこから少し坂を下ると、意外と大きな本堂が目に入った。

日向薬師は、まだ小学生のころ、なんどか両親に車で連れられてきたことがあった。その当時は、神社仏閣などには全く興味がなかったが、出身中学が町田市立薬師中学校だったこともあり、寺院の中ではお薬師さんが身近ではあったので、名前は記憶に残っていた。

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ヒガンバナが飾られた手水舎で手を清めてから本堂でお参りした。

この寺は、716年に行基上人により創建されたと言われ、高野山真言宗の寺院だ。本尊は薬師三尊。

創建以来、歴代天皇の篤い崇敬を集め、皇室の権威ある寺院として、将軍源頼朝や北条政子など著名な武士なども頻繁に参拝した、巨大な寺院だったらしい。日向山霊山寺(ひなたさんりょうぜんじ)と称し、子院12坊を擁したという。明治の廃仏毀釈で多くの堂舎が失われ、現在は霊山寺の別当坊であった宝城坊(ほうじょうぼう)が寺籍を継いでいる。

本尊は平安時代に作られた鉈彫り(なたぼり:像の表面にノミ目を残して仕上げる彫刻様式)の薬師三尊像だというので、こんな山の中で古い寺院が建立されたというのが面白い。他にも重要な仏像が、宝物殿と称した隣の建物に収納されていた。これらの仏像や、境内の梵鐘、そして境内の発掘調査から推測すると、実際の建立は、平安時代中期(10世紀ごろ)らしいので、行基上人(奈良時代の人物・奈良の大仏建造の総指揮者。)建立説はいわゆる逸話でしかないのかもしれない。

それにしても、なぜ、行基上人はこんなところに寺院を立てたのだろう。

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柴折薬師(高知県大豊町)・米山薬師(新潟県上越市)とともに「日本三薬師」に数えられることもあり、峰の薬師(相模原市)・高尾山薬王院・新井薬師とともに「武相四大薬師」として信仰を集めているらしく、確かに寺には「日本三薬師」と書かれた旗が建っていた。でも、薬師というのなら、奈良の薬師寺ではないか。

個人的には、中野の新井薬師が身近だったけれど。

それにしても、茅葺屋根の寺院は、なんとも田舎っぽくて素朴でいい。

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薬師如来の真言は、「オン コロコロ センダリマトウギソワカ」であることは、ずっと前から知っていて、お薬師さんを詣でるときには、自然と口の中でこの真言を三回唱えているのだけれど、「帰依し奉る、病魔を除きたまえ払いたまえ、センダリやマトーギの福の神を動かしたまえ、薬師仏よ」という意味で、要するに、「痛いの痛いの飛んでいけ」(アメリカにもPain pain go away!、Kiss it better!とかがある。)という意味合いの真言だということらしい。

お薬師様は、薬師(くすし: 日本における薬剤師という職業がなかった時代の医師の古称)と同じで、病気治癒の神様。奈良の薬師寺は、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して建立したもの。だから、病気を治してくれるありがたい仏様なのだ。

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境内には、大きな木の洞(うろ)に虚空菩薩の祠があった。

他にも、境内の鐘楼前には、大きな杉の木が二本立っていて、この木は「幡かけ杉(宝城坊の二本杉)」と言われ、関東管領足利基氏が幡をかけて平和と五穀豊穣を祈ったと伝えられる。推定樹齢 800年で、県指定天然記念物、かながわの名木100選としても知られているらしい。。

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日向薬師
住所:神奈川県伊勢原市日向1644
電話:0463-95-1416
https://www.hinatayakushi.com/

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by darjeeling_days | 2023-09-17 12:30 | temple:寺院 | Comments(0)

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