身延山久遠寺
2023年 10月 20日
折角身延まで来たのなら、一度行ってみたかった「身延山久遠寺」には立ち寄ろうと、セルバみのぶ店を出発し、川窪書店を通った後に、立ち寄ってみることにした。スーパーカブで15分程度。国道52号線を小田舟原という交差点で右折して県道805号線で山に入っていく。途中、巨大な山門があり、その下をカブで通り過ぎると、その先が両側に土産屋などが並ぶ参道になっていた。
更にその先に進むとこれもまた大きな三門があり、その横手に駐車場があったので、そこにカブを停めた。
更にその先に進むとこれもまた大きな三門があり、その横手に駐車場があったので、そこにカブを停めた。
久遠寺は、日蓮上人が建立した鎌倉時代の巨大寺院であることは知ってはいたが、そもそも日蓮上人の建立した寺院は日本全国津々浦々にあり、久遠寺がその中でどんな位置づけなのかを、無知なので知らなかった。
ところが、現地でもらったパンフレットを見てみたら、ほぼ、ここが総本山的な寺院であることが分かった。なるほどね。やはりこういうところは来てみないと分からないものだ。
由来書きには、日蓮聖人は1274(文永11)年5月17日に身延山に入山し(1222年生まれだから、52歳なので、結構人生の後半時期にあたる。)、同年6月17日に鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処とした。この日が身延山開闢(かいびゃく)の日とされているらしい。
その後足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名した。
翌1282(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うために山を下り、常陸の国に向かったが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上(池上現在の東京都大田区)にてその61年の生涯を閉じ、遺言のとおり遺骨は身延山に奉ぜらたという。今の創価学会等に繋がる教えなので、深く知りたいとは思わないけれど、政治的にもいろいろ思うことのあった日蓮上人は、波乱万丈な人生を送ったということなのだろう。
その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人、日向(にこう)上人とその門流によって継承され、約200年後の1475(文明7)年、第11世日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転され、伽藍(がらん)の整備がすすめられたらしい。今では、身延山総門内約300万坪に達する大伽藍になっている。
ところが、現地でもらったパンフレットを見てみたら、ほぼ、ここが総本山的な寺院であることが分かった。なるほどね。やはりこういうところは来てみないと分からないものだ。
由来書きには、日蓮聖人は1274(文永11)年5月17日に身延山に入山し(1222年生まれだから、52歳なので、結構人生の後半時期にあたる。)、同年6月17日に鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処とした。この日が身延山開闢(かいびゃく)の日とされているらしい。
その後足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名した。
翌1282(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うために山を下り、常陸の国に向かったが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上(池上現在の東京都大田区)にてその61年の生涯を閉じ、遺言のとおり遺骨は身延山に奉ぜらたという。今の創価学会等に繋がる教えなので、深く知りたいとは思わないけれど、政治的にもいろいろ思うことのあった日蓮上人は、波乱万丈な人生を送ったということなのだろう。
その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人、日向(にこう)上人とその門流によって継承され、約200年後の1475(文明7)年、第11世日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転され、伽藍(がらん)の整備がすすめられたらしい。今では、身延山総門内約300万坪に達する大伽藍になっている。
三門からは、287段の長い階段を登って本堂まで登ることになるのだが、そんな体力はなく、一旦参道をぶらぶらした後、スパーカブでケーブルカー乗り場横の駐車場まで登り、そこから斜行エレベーターで本堂までいった。
上には本堂、五重塔、拝殿、大鐘などが並んでいた。どうやら、春の桜の季節には、枝垂れ桜がとてもきれいらしい。
でもせっかく登ったのに、持参したPanasonic の小さなカメラのSDカードが接触がうまくいっていなくて、まったく写真が撮れていなかった・・・😭😭😭
上には本堂、五重塔、拝殿、大鐘などが並んでいた。どうやら、春の桜の季節には、枝垂れ桜がとてもきれいらしい。
でもせっかく登ったのに、持参したPanasonic の小さなカメラのSDカードが接触がうまくいっていなくて、まったく写真が撮れていなかった・・・😭😭😭
いや、この階段は、見るだけでお腹いっぱいだ。10年近く前に、和歌山市の紀三井寺で、210段の石段を登ったことがあるが、あの時ですら大変だったのだから、287段など、登れる自信はない。昔の人の健脚には、本当に脱帽だ。
実は、本堂の裏側から、さらに奥の院まで身延山ケーブルカーが登っている。そのケーブルカーの頂上は、アニメ「ゆるキャン△」の聖地のひとつなのだけれど(野クルのメンバーがここに正月に初日の出を見に来たとされている。)、今回は、帰りの時間を考えると、パスということにしておいた。半月後ぐらいの紅葉の季節なら良いのかもしれないけれどね。
実は、本堂の裏側から、さらに奥の院まで身延山ケーブルカーが登っている。そのケーブルカーの頂上は、アニメ「ゆるキャン△」の聖地のひとつなのだけれど(野クルのメンバーがここに正月に初日の出を見に来たとされている。)、今回は、帰りの時間を考えると、パスということにしておいた。半月後ぐらいの紅葉の季節なら良いのかもしれないけれどね。
むしろ、物見うさん・観光好きの僕には、参道を歩く方が楽しい。といっても、あまりにぎわっている感じの参道ではないもののの、ここは門内商店街とよばれる、身延では2番目に大きな商店街になっているらしい(一番は、身延駅前のしょうにん通り商店街らしい)。寺の門前なので、仏具屋が多く目に付いたけれど、その他には、名物のゆばの店(本当は買って帰りたかったが、今回は保冷バッグを積み忘れた。)やみのぶまんじゅうの店、土産屋、食堂などが並んでいた。一瞬ゆばがたべられるという食堂でランチ?とも思ったのだけれど、ネットの口コミが「メインの料理はそば、うどん、わずかな湯葉料理。料理はそれほど特徴があるとは思えない」という口コミを読んでやめてしまった。
そのかわり、寛永三年からこの門前町で菓子を作り続けているという「祈寿菓子司 甘養亭河喜」で、みのぶまんじゅうを買ってみた。
この甘養亭、店構えはなかなかいい感じで、観光地の老舗和菓子屋的な雰囲気が漂っていた。後から知ったのだが、真向かいに、もう一件、松屋菓子舗というみのぶまんじゅうの店があったらしい。食べ比べをしてもよかったかも。でも、みのぶまんじゅうの味は、ざっくりいうと、温泉饅頭の味とあまり違いはなかったのだけれど。
こうして、今日一番の観光地・見どころを満喫したので、山をおりて、引き続きゆるキャン△聖地巡りを再開したのであった。
そのかわり、寛永三年からこの門前町で菓子を作り続けているという「祈寿菓子司 甘養亭河喜」で、みのぶまんじゅうを買ってみた。
この甘養亭、店構えはなかなかいい感じで、観光地の老舗和菓子屋的な雰囲気が漂っていた。後から知ったのだが、真向かいに、もう一件、松屋菓子舗というみのぶまんじゅうの店があったらしい。食べ比べをしてもよかったかも。でも、みのぶまんじゅうの味は、ざっくりいうと、温泉饅頭の味とあまり違いはなかったのだけれど。
こうして、今日一番の観光地・見どころを満喫したので、山をおりて、引き続きゆるキャン△聖地巡りを再開したのであった。
by darjeeling_days
| 2023-10-20 12:20
| temple:寺院
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