節分

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今日は節分。いわゆる立春イブ。

今年は2月4日が立春なので、その前日が節分ということになる。

去年の節分は、平日だったので、普通に出勤して、帰りに京王デパートで恵方巻を買って帰ったんだっけ。今年は、土曜日なので、スーパーカブにエンジンをかけるついでに(週一でエンジンをかけないとバッテリーがつらいことになるので。)近所のスーパーで恵方巻と豆まきの豆を買って帰ってきた。

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豆まきをする人が少なくなったのか、スーパーでは豆まき用の豆を、恵方巻のコーナーの片隅に少し置いてあるだけで、買っていく人も少なかった。信仰とか、風習とか、そういう物は、信じる人がいなくなればすたれる。そういうことを信じようとする気持ちがなくなると、おそらく消えてなくなってしまうのだろう。

もちろん、豆まきしたからなにかあるかなんてことはまったくないのだろう。でも、そういう心の動きというか、少しでも良いことがあればいいなという、まあ、そういう意味でいえば風習なのだろうけれど、そういう心持があるから、未だに豆まきという風習を、僕は踏襲しているのだろうと思う。

それは、神社に行けば二礼二拍手一礼をして神に感謝するとか、お寺にいけば、線香をあげて仏像に手を合わせるのと同じ感覚とでもいうのだろうか。

節分の豆まきの由来は「追儺(ついな)」。追儺とは、宮中において大晦日に疫鬼や疫神を払う儀式だった。大晦日というのは、立春の前日である大晦日を意味し、それが民間の風習に浸透し、節分などに行われる鬼を払う行事を意味するようになったという。

儺あるいは大儺、駆儺。鬼遣(おにやらい。=鬼儺)、儺祭(なのまつり)、儺遣(なやらい)とも呼ばれるのだという。豆まきという方式は、追儺には行われておらず、民間に浸透したのちに、風習として行われるようになったらしい。

追儺は大陸の儀式。それが日本に伝来し、やがて民間に広がり、豆まきという形式に形を変え、今も生きている。だからそういう風習というのは、やはりもっと長く生き延びて欲しいものだと思うのである。

そういえば、立春に柊鰯(ヒイラギを目指しの首にさしたもの)を門前に飾るという風習は、ほぼ死滅しているのか?さすがにそういう物を飾るという家は少ないのだろう。昔我が家では、「立春大吉」と墨で書かれた和紙を玄関に飾るとともに、ドアには、柊鰯を飾ったものだった。ヒイラギの葉のとげとげと、イワシの頭を鬼が嫌ったためというこういう風習も、どんどんすたれて、鬼があちこち歩き回る時代なのか。それともそもそも鬼(という不幸をもたらす抽象的な存在そのもの)がいなくなった時代なのか。もっとミクロ化されて、コロナとかインフルエンザ、交通事故とか病気とか、ハラスメントによる心の不安とか、不幸をトータルで見て鬼に象徴させる時代は終焉したということなのかもしれない。

でもね、やはり鬼はどこかに潜んでいるのだから、きちんとこういう物を祓うという心の持ちようは残しておきたいものだと思う。

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そういえば、もう2月。そろそろ梅が咲く時期だと思い、スーパーの帰りに近所の公園に寄ってみた。やはり既に梅の花が咲き始めていた。

紅梅は早生なのか、既に花の一部が茶色くなってしまっている木もあったけれど、隣の白梅はまだつぼみが多く残っていて、これから咲く花も多かった。M3/4レンズの14㎜(35㎜相当で28mm)を付けたGM1しかもっていなかったので、こんな写真なのだけれど、今度はちゃんとマクロを付けたZ5で写真を撮りに来ないといけないなあ。

このところ、本当に、ちゃんと写真を撮っていない。そういえば、去年はひまわりと彼岸花しか撮ってなかったっけなあ。旅行に行くときも、Z5を持っていても、28-75㎜ F2.8レンズしかつけてなくて、広角、望遠、マクロを持ち歩くこともなかったしなあ。今年は少しちゃんと写真を撮るかな(といいつつ、今度の札幌にはGM1しか持っていく気がないのだから、すでに、終わっているともいえるが。)。

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by darjeeling_days | 2024-02-03 12:35 | calendar:暦・歳時記 | Comments(0)

美味しいものを食べて、旅して、写真を撮って、本を読む。そんな日常の極上の楽しみを切り出した、至極個人的なブログです。https://www.tearecipe.net/


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