旧甲州街道宿場巡り 鶴川宿~犬目宿
2024年 03月 30日
藤野から長野原までは、国道20号線に沿って進み、途中、名倉入り口を左折し、旧甲州街道へ。坂道を下り、境川橋の手前で合流した県道520号線を右折するとカーブの続く登坂になるが、その途中に出現するのが「諏訪の関」のあとだ。
関という名前なので、つまりここは関所だ。甲州街道の宿場の間には、時折、自然の地形を利用して、人の出入りを規制する関所がおかれていた。東京にちかいところでは、大垂水峠の北側を走る旧甲州街道の小仏道峠の東京側にある小仏の関だった。険しい山道の途中である関所だけれど、一方こちらの諏訪の関では、川と山の間に作られたこれもまた自然の地形を利用した関所だったらしい。ここも日が建っているだけで、こんなところにあったのだなという感じなのだけれど、今の国道20号線が作られるには、山を崩し、橋を渡す作業が必要だったので、旧甲州街道のような道筋が伸びていたのだろう。
関という名前なので、つまりここは関所だ。甲州街道の宿場の間には、時折、自然の地形を利用して、人の出入りを規制する関所がおかれていた。東京にちかいところでは、大垂水峠の北側を走る旧甲州街道の小仏道峠の東京側にある小仏の関だった。険しい山道の途中である関所だけれど、一方こちらの諏訪の関では、川と山の間に作られたこれもまた自然の地形を利用した関所だったらしい。ここも日が建っているだけで、こんなところにあったのだなという感じなのだけれど、今の国道20号線が作られるには、山を崩し、橋を渡す作業が必要だったので、旧甲州街道のような道筋が伸びていたのだろう。
ここから上野原の旧街道沿いから少し離れた上野原駅へ向かう。JRの駅がメインの繁華街から外れたところにできているのはなんでだろう。地方の大きな都市ですら、駅と繁華街は離れているのが面白い。

上野原駅では、駅タグと御宿場印を数枚GETする。

御宿場印は、上野原駅の南側にある「上野原市観光協会 ふらっと上野原」の中で、上野原から犬目までの数枚の御宿場印をここで購入できる。御宿場印を張り付けることができる御宿場印帳も販売されていた。
でも、まとめて買ってしまうと、この先の場所で購入する機会を逸失してしまうので、上野原とともに、外で現地で購入できない鶴川宿だけ購入して先に進んだ。

上野原駅では、駅タグと御宿場印を数枚GETする。

御宿場印は、上野原駅の南側にある「上野原市観光協会 ふらっと上野原」の中で、上野原から犬目までの数枚の御宿場印をここで購入できる。御宿場印を張り付けることができる御宿場印帳も販売されていた。
でも、まとめて買ってしまうと、この先の場所で購入する機会を逸失してしまうので、上野原とともに、外で現地で購入できない鶴川宿だけ購入して先に進んだ。
上野原駅から国道20号線に復帰し、途中県道30号線に入り、鶴川橋を越えると、そこから鶴川宿になる。鶴川宿の入り口には、鶴川宿の碑が立っているが、そこから少し登ると、道がまっすぐになり両側に民家が並ぶ地域が出現するが、それがまさに鶴川宿の後だった。
意外と古そうな民家もあるが、木曽の妻籠のような街並みではなく、現代風の家も並ぶ宿場町あとだった。国道20号線の北側、中央高速よりも北側に位置する場所だった。
意外と古そうな民家もあるが、木曽の妻籠のような街並みではなく、現代風の家も並ぶ宿場町あとだった。国道20号線の北側、中央高速よりも北側に位置する場所だった。
鶴川宿のどん付きから少し南下して途中、中央高速を渡りその南側を並走する形で西に進む。旧街道沿いということで、途中には、道祖神とか馬頭観音、そして常夜灯などが点在していた。
鶴川宿とその次の野田尻宿の標識(大椚宿発祥と書かれているので、大椚宿(おおくのきしゅく)という宿があったのだろうか?)があったりした。旧長峰の砦跡(北条氏と武田氏が小競り合いをした中世の古戦場)を抜けて中央高速の南側を直進する。
鶴川宿とその次の野田尻宿の標識(大椚宿発祥と書かれているので、大椚宿(おおくのきしゅく)という宿があったのだろうか?)があったりした。旧長峰の砦跡(北条氏と武田氏が小競り合いをした中世の古戦場)を抜けて中央高速の南側を直進する。
再び中央高速を渡り、北側に出ると、そこが野田尻宿。ここも道が直線に伸びていて、両側に民家が並んでいる。宿場町らしい雰囲気はわずかに残っていた。
野田尻宿は、鶴川宿よりも若干大きな宿場のようだ。石碑や看板が立っていて、来訪者用のトイレも整備されていた。
1842年(天保14年)には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は大2軒、中3軒、小4軒からなる小規模な宿場町であった。当時からあるらしい万屋、蔦屋、中田屋、鶴屋、紺屋、酒屋といった屋号の店が今も残っている。この辺りをもう少しじっくり歩いてみればよかったのだけれど、バイクで通り過ぎてしまったのがちょっと残念だったか。
野田尻宿は、鶴川宿よりも若干大きな宿場のようだ。石碑や看板が立っていて、来訪者用のトイレも整備されていた。
1842年(天保14年)には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は大2軒、中3軒、小4軒からなる小規模な宿場町であった。当時からあるらしい万屋、蔦屋、中田屋、鶴屋、紺屋、酒屋といった屋号の店が今も残っている。この辺りをもう少しじっくり歩いてみればよかったのだけれど、バイクで通り過ぎてしまったのがちょっと残念だったか。
野田尻の宿を走りすぎると、再び道は中央高速を南側にわたるが、正式な旧甲州街道は、石畳らしき道が残る場所なのだという。バイクでは通れないので、整備された道の方を走ってしまったが、ブラブラと歩くには良い当たりなのかもしれない。
そのまま道なりに進むと、再び中央高速の北側にでて、その先結構道がくねくねしている。甲州古道座頭転がしという名前の急所もあったりするが、その先に「大野展望台」があった。
丁度中央高速の談合坂PA(上り側)の斜面の北側の上の方にある。周りが花桃の畑になっていて、その先には白く雪をかぶった美しい富士山の姿が見えた。いい場所だなあ。上野原の案内状で「桃園がある」とおばさんが行っていたのは、どうやらこの辺りらしい。地図には桃園の表示がなかったので、適当に走ったのだけれど、たまたま桃の花が見えたのがラッキーだった。
そのまま道なりに進むと、再び中央高速の北側にでて、その先結構道がくねくねしている。甲州古道座頭転がしという名前の急所もあったりするが、その先に「大野展望台」があった。
丁度中央高速の談合坂PA(上り側)の斜面の北側の上の方にある。周りが花桃の畑になっていて、その先には白く雪をかぶった美しい富士山の姿が見えた。いい場所だなあ。上野原の案内状で「桃園がある」とおばさんが行っていたのは、どうやらこの辺りらしい。地図には桃園の表示がなかったので、適当に走ったのだけれど、たまたま桃の花が見えたのがラッキーだった。
大野展望台からさらに先に進むと、その先に犬目宿があった。昭和45年の大火事で、昔の面影を残す宿場町が半壊してしまったらしく、少し北側に移転した比較的新しい街並みが現在の犬目宿になっていた。宿場の中心に公民館兼農産物直売所「犬目宿直売所」があり、この前に宿場名の書かれた石碑が立っていた。
近所に宝勝寺があり、ここで犬目宿の御宿場印をもらうことができる。この辺りは、北斎が『冨嶽三十六景』で描いた「甲州犬目峠」(歌川広重の「不二三十六景」にも登場したらしい。)の場所。宝勝寺のあたりからは富士山もきれいに見える。
鶴川宿から犬目宿までの間は、国道20号線から大きく離れた旧甲州街道が北側に伸びる地域で、まさに宿場巡りの楽しみを堪能できる地域だった。なぜこんなに北側を走っていたのかよくわからないけれど、春のこの時期は、走っていて気持ちの良い道だった。
犬目宿をすぎると、山の斜面を駆け下りるように旧甲州街道はうねりながら南下し、国道20号線に合流することになる。
近所に宝勝寺があり、ここで犬目宿の御宿場印をもらうことができる。この辺りは、北斎が『冨嶽三十六景』で描いた「甲州犬目峠」(歌川広重の「不二三十六景」にも登場したらしい。)の場所。宝勝寺のあたりからは富士山もきれいに見える。
鶴川宿から犬目宿までの間は、国道20号線から大きく離れた旧甲州街道が北側に伸びる地域で、まさに宿場巡りの楽しみを堪能できる地域だった。なぜこんなに北側を走っていたのかよくわからないけれど、春のこの時期は、走っていて気持ちの良い道だった。
犬目宿をすぎると、山の斜面を駆け下りるように旧甲州街道はうねりながら南下し、国道20号線に合流することになる。

by darjeeling_days
| 2024-03-30 11:10
| motorcycle:オートバイ
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