森戸神社
2024年 06月 08日
三浦半島の入り口、葉山の森戸神社。
ここは、平治の乱(永暦元年(1160年))に敗れ伊豆に流された源頼朝公が、治承4年(1180年)に三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)の御分霊を鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請したのが始まりと言われる。
そのため、主祭神は、大山祗命と事代主命。
源頼朝がなぜ、三嶋の神を深く崇敬し他のかは知らない。でも、そのおかげで、この場所にこの神社ができたというわけだ。三嶋神社という名前が付かなかったのはなぜなんだろう。「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったらしい。
その後は、鎌倉要人からも篤い信仰があり、三浦党の祈願所になり、時代が下がると、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されたという。延宝2年(1674年)に徳川光圀公が参拝したとのこと。
ここは、平治の乱(永暦元年(1160年))に敗れ伊豆に流された源頼朝公が、治承4年(1180年)に三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)の御分霊を鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請したのが始まりと言われる。
そのため、主祭神は、大山祗命と事代主命。
源頼朝がなぜ、三嶋の神を深く崇敬し他のかは知らない。でも、そのおかげで、この場所にこの神社ができたというわけだ。三嶋神社という名前が付かなかったのはなぜなんだろう。「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったらしい。
その後は、鎌倉要人からも篤い信仰があり、三浦党の祈願所になり、時代が下がると、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されたという。延宝2年(1674年)に徳川光圀公が参拝したとのこと。
今日は天気が良くて、空が青いので、参拝する人も多くいた。
こういう開けた感じの神社は、なんとなく開放的でいい感じだ。もちろん森の中に多々づむ、静謐な神社もかなり好みではあるのだが、こういう海辺に立っている神社も捨てがたい。
境内には、いくつかの摂社、境内社があった。
・おせき稲荷社 宇迦之御魂大神(咳止め、病気平癒、技芸上達)古来より「せきが止まらない人」、「喉を使う職業の人」の篤い信仰がある。
・水天宮 天御中主神(子授、安産、育児)
そのほかにも総霊社や家畜の霊を慰める社などもあるらしい。
こういう開けた感じの神社は、なんとなく開放的でいい感じだ。もちろん森の中に多々づむ、静謐な神社もかなり好みではあるのだが、こういう海辺に立っている神社も捨てがたい。
境内には、いくつかの摂社、境内社があった。
・おせき稲荷社 宇迦之御魂大神(咳止め、病気平癒、技芸上達)古来より「せきが止まらない人」、「喉を使う職業の人」の篤い信仰がある。
・水天宮 天御中主神(子授、安産、育児)
そのほかにも総霊社や家畜の霊を慰める社などもあるらしい。
さすがインバウンドで、こんな場所にまで外人さんが多くいる。きっと海外のガイドブックに乗せられているのかもしれない。近くに鎌倉があるので、わざわざここまでくる必要があるのか?と思うけど、インバウンドの旅行者は、長期旅行する人も多いので、其の日程の中に、ここも含まれたということか。
ただ、ここは裏手に回ると景色もきれいなので、その効果ということも考え得るなあ。
ただ、ここは裏手に回ると景色もきれいなので、その効果ということも考え得るなあ。
今では、葉山の総鎮守として人気を博しているというが、ここ数年は、「西叶神社」「海南神社」と組んで、「開運半島巡り」をしているので、余計人気らしい。特別な御朱印も用意されているらしく、御朱印集めをしている人には確かに魅力的ではある。最近、すっかり御朱印帳の処理に困り、これ以上御朱印は自粛しているので、今回僕は御朱印を頂戴しなかったのだけれど、集め炊く夏気持ちはよく分かった。

として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。(神社庁指定神社)

として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。(神社庁指定神社)
この神社は、丁度半島の付け根にこぶのように飛び出している半島に建てられている。だから、すぐ横手は、入江になっていて、神社の裏手は伊豆半島が眺められる絶好のビューポイントにもなっているのだ。
実際に裏手に回ると、まず目に飛び込んでくるのが、石原裕次郎の碑。映画「狂った果実」のロケ地としても知られる葉山に、裕次郎の碑があるのもうなづける。
裕次郎の初主演映画「狂った果実」は、兄・石原慎太郎原作によるもの。裕次郎出世作らしいが、僕は見ていない。この碑には、裕次郎のブロンズ像が刻まれているほか、石の台座には、「狂った果実」の一節が刻まれている。
裕次郎の初主演映画「狂った果実」は、兄・石原慎太郎原作によるもの。裕次郎出世作らしいが、僕は見ていない。この碑には、裕次郎のブロンズ像が刻まれているほか、石の台座には、「狂った果実」の一節が刻まれている。
そしてその碑の奥には、江の島と、遠く富士山が眺められた。
さらに視線を左に動かすと、森戸海岸沖の名島岩礁に葉山灯台が立っているのが見える。石原裕次郎の三周忌に兄・石原慎太郎が会長を務めていた日本外洋帆走協会が寄贈した灯台なのだという。そのため、通称・裕次郎灯台としてしられている。
さらに、名島の赤い鳥居が目に入る。もう少し南に下ると、丁度この鳥居と富士山を重ねて写真が撮れる場所があるらしいが、探すのがめんどくさくて行かなかった・・・。
さらに視線を左に動かすと、森戸海岸沖の名島岩礁に葉山灯台が立っているのが見える。石原裕次郎の三周忌に兄・石原慎太郎が会長を務めていた日本外洋帆走協会が寄贈した灯台なのだという。そのため、通称・裕次郎灯台としてしられている。
さらに、名島の赤い鳥居が目に入る。もう少し南に下ると、丁度この鳥居と富士山を重ねて写真が撮れる場所があるらしいが、探すのがめんどくさくて行かなかった・・・。

by darjeeling_days
| 2024-06-08 20:00
| shrine:神社・稲荷神社
|
Comments(0)










