相州三浦総鎮守 海南神社
2024年 06月 08日
三崎にきたので、森戸神社の流れで、3社巡りのもう一つの神社、相州三浦総鎮守 海南神社へ立ち寄ってみた。
三崎漁港から少しだけ北に上がった場所で、参道には、小さなカフェや喫茶店、食堂などが並んでいる。4台ぐらい止められる駐車所が横にあり、そこにカブを停めて、正面の賛同に戻って参拝する。
三崎漁港から少しだけ北に上がった場所で、参道には、小さなカフェや喫茶店、食堂などが並んでいる。4台ぐらい止められる駐車所が横にあり、そこにカブを停めて、正面の賛同に戻って参拝する。
朱塗りの社殿は、結構立派。
観光客はここまで足を延ばしてお参りしているようだった。
創建は、貞観八年(八六六)ごろ。この場所ではなく、最初は花暮海岸に祠が建てられたらしい。この地に遷宮したのは、天元五年(九八二)。この時に三浦一郡の総社となったらしい。
では、なぜ花暮海岸に祠が建てられたかというと、天児屋根之命之の苗裔である藤原資盈の功績をたたえるためだったとか。清和天皇の治世、藤原資盈は皇位継承争いに絡み、讒訴を被って左遷された。貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着し、この地の長に推戴された。その後、資盈は房総の海賊を平定した上で、福祉に努めたことから地元民に崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。それがこの祠なのである。
そのため主祭神は、藤原資盈とその妻藤原盈渡姫。相殿に地主大神、素戔嗚尊、天日鷲神、菅原道真公、筌龍弁財天が祀られている。
観光客はここまで足を延ばしてお参りしているようだった。
創建は、貞観八年(八六六)ごろ。この場所ではなく、最初は花暮海岸に祠が建てられたらしい。この地に遷宮したのは、天元五年(九八二)。この時に三浦一郡の総社となったらしい。
では、なぜ花暮海岸に祠が建てられたかというと、天児屋根之命之の苗裔である藤原資盈の功績をたたえるためだったとか。清和天皇の治世、藤原資盈は皇位継承争いに絡み、讒訴を被って左遷された。貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着し、この地の長に推戴された。その後、資盈は房総の海賊を平定した上で、福祉に努めたことから地元民に崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。それがこの祠なのである。
そのため主祭神は、藤原資盈とその妻藤原盈渡姫。相殿に地主大神、素戔嗚尊、天日鷲神、菅原道真公、筌龍弁財天が祀られている。
この神社あれこれ面白い。三崎にちなんで「まぐろ御籤」なるものがあった。マグロの形の入れ物におみくじが仕込まれているというもの。これは一つ引いてみればよかったなと後からちょっと残念に思った。
龍神を境内社に祭ってあるので、龍の形の顔だしパネルが置かれていたりもした。
龍神を境内社に祭ってあるので、龍の形の顔だしパネルが置かれていたりもした。
さらに、どーんと大きなマグロのおかしら。こういうのは観光、物見遊山にはもってこいのオブジェだったりする。
まぐろ御籤のまぐろは、数種類のいろがあって、やはり青がマグロらしいが、金のマグロもなかなかいい感じだった。
マグロ御籤らしく、短い釣り竿でこの御籤を吊り上げるというイベント付。神社参拝と物見遊山というのは、やはりセットなのがいい感じだ。富士山講とか、お伊勢参りとかも、そんな要素あるものね。
境内には、頼朝が自ら手植えしたという銀杏の木の御神木があったり、龍の形の木の下に龍神が祀られていたり、お稲荷さんも境内社としてまつられていた。
そして大きな丸石が3つ。これは力石。どうやら藤原資盈は力自慢だったらしい。でも、相撲取りに負け、相撲嫌いだったという伝説もあったりする。負けず嫌いなひとだったのだなあ。ということは、この地に左遷されて、やはりずいぶん落胆したことだろう。でも、菅原道真とは異なり、この地で名声をあげたのは、立派だったということだろう。ただただ恨めしい感情のみで怨霊になって、それを封じるために神社に封印された菅原道真とは、ちょっと違う感じがした。もちろん、菅原道真の方が怨霊としては、格段のパワーを持っているんだろうけれどね。
いずれにせよ、神話の神様が主祭神ではない神社というのは、その地にあったら詣でるが、神社の成り立ち的には、僕の興味の対象外なのである。
マグロ御籤らしく、短い釣り竿でこの御籤を吊り上げるというイベント付。神社参拝と物見遊山というのは、やはりセットなのがいい感じだ。富士山講とか、お伊勢参りとかも、そんな要素あるものね。
境内には、頼朝が自ら手植えしたという銀杏の木の御神木があったり、龍の形の木の下に龍神が祀られていたり、お稲荷さんも境内社としてまつられていた。
そして大きな丸石が3つ。これは力石。どうやら藤原資盈は力自慢だったらしい。でも、相撲取りに負け、相撲嫌いだったという伝説もあったりする。負けず嫌いなひとだったのだなあ。ということは、この地に左遷されて、やはりずいぶん落胆したことだろう。でも、菅原道真とは異なり、この地で名声をあげたのは、立派だったということだろう。ただただ恨めしい感情のみで怨霊になって、それを封じるために神社に封印された菅原道真とは、ちょっと違う感じがした。もちろん、菅原道真の方が怨霊としては、格段のパワーを持っているんだろうけれどね。
いずれにせよ、神話の神様が主祭神ではない神社というのは、その地にあったら詣でるが、神社の成り立ち的には、僕の興味の対象外なのである。

by darjeeling_days
| 2024-06-08 20:20
| shrine:神社・稲荷神社
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