高麗神社

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ひとしきり、巾着田で写真を撮った後、スーパーカブで5分程度の位置にある高麗神社へ立ち寄ってみることにした。

実は、まだ小学生のころ、中野区野方に住んでいて、よく西武線で黒山三滝とか恋ヶ窪とか吾野とかに来たのだけれど(主にカブスカウトのイベント。)実は、この高麗神社にも数回来たことがあった。当時は神社などには全く興味なかったので、あまり記憶はのこっていないのだけれど、神社の入り口にあるトーテンポールのような顔が印象に残っていて、高麗神社という名前は憶えていた。当時は木像の碑だった記憶があるのだけれど、半世紀ぶりに来た高麗神社、立派な石碑になっていた。

ただ、あの頃盛った印象は変わっておらず。どんな印象だったかというと、なんでこんな顔しているの?ということ。時々韓国の時代劇を見ていると、お面をかぶった村祭りの様子が出て来るのだけれど、その時の顔がこんな感じ。韓国の伝統的な顔なのかもしれない。ただし、この顔のルーツ、絶対殷墟(三星堆遺跡)から発掘された青銅器についている顔なのではないかと思うのだがどうだろうか。まあ、こちらの顔の方が、ひょうきんではあるのだけれど。
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この高麗神社は、古代からこの地を与えられていた高麗からの渡来人の王、高麗王若光を祀った神社として知られている。

高麗王若光ってだれ?って思うのだが、奈良時代の豪族で、高句麗の寶臧王の息子だという。高句麗から日本に派遣された使節の一員に高句麗の王族、玄武若光なる人物がいたという。時代は、唐と新羅が高句麗を攻めていた時代。高句麗の王族は日本に救いを求め、使節を送ったらしいが、668年、建国から約700年間東アジアに強盛を誇った高句麗は滅亡し、若光は二度と故国の土を踏めなくなってしまい、朝廷から王の称号と、埼玉の日高に土地をたまわったため、この地を治め、生涯を閉じたという。王という称号は与えられたが、日高は田舎で、開拓も大変だったらしい。いまでも豊かな自然が残っている場所だ。

霊亀2(716)年5月16日、大和朝廷は駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総・下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)の七国から高句麗人1799人を武蔵国に移し「高麗郡」を創設(続日本書紀巻第7の記述)。この時、若光は郡の長官に任命された。若光は郡内の高麗人をよく指揮し、未開の地を開発し、この地で波瀾の生涯を終えたという。郡民はその徳を偲び、その霊を祀り、高麗郡の守護神としたのがこの神社の始まりだという。

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高句麗の面影は、神社を見渡しても、この入り口の石像以外(それをモチーフにした絵馬はあったが)見当たらず、至極平均的な日本の神社になっている。この辺り、どうせなら、韓国の信仰の片鱗でももっとのこっていたら、面白いものになったのになあなどと、思ったりする。

もっとも、韓国の信仰は、仏教から儒教へ移行したが、道教の流れをくむ巫女信仰が根深く怒っている気がする。韓国土着のシャーマニズム、巫堂というものになるが、その神様の社が堂(タン)と呼ばれるものらしい。もっとも、韓国に残る堂は、日本の神社のように立派なものではないので、高麗神社が日本の神社に組み込まれ、発展できたのは、案外良いことだったのかもしれない。

ちなみに、現在宗教を信仰する人たちの比率でみると、仏教が最も多いらしいが、ついでキリスト教が多いというのも、なるほどと思う。ソウルに行くと、大きな協会が市街地のど真ん中にドーンとあるものね。

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高麗神社の神門は結構立派な造り。

杉の緑林された山の斜面の一角に建つ神社なので、一段高くなっている場所に神門がしつらえられており、堂々とした神社の佇まいを呈していた。

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そしてその奥に本殿があった。意外と詣でる人が多く、列ができるほどではないものの、参拝者が途絶えることはなかった。ある意味、この地の観光名所的な位置づけでもあるのかもしれない。

しかも、著名人が参拝することも多く、そのため「出世大明神」と呼ばれているらしい。

ちなみに、若光の子孫は、なんと1300年、60代続いていて、現在もこの神社の宮司を務めているらしい。これだけ長く日本に寝ずいているなら、もはや立派な日本人だなと思う。

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高麗という名前自体が、由来からすると高句麗の人たちが集まっていた場所ということなのだが、意外とそういう場所は頻繁に聞く。

例えば、わが母校のある多摩川のへりにある狛江も、1.朝鮮半島から渡来した「高麗の人が住む入り江」から「狛江」になったという説、2.百済国王が高麗人を日本に帰化させた地で「狛(高麗)の里」と呼ばれていたことを由来として「狛江」となったという説などがある。

母校の校歌に「高麗びとの伝えしわざをうけ継ぎて、あづま少女は布さらしけり」という反歌が挟まれているのだ。なんか懐かしい。

そんなことを思い出しながら、さらになつかしい、高麗神社を詣でたのであった。

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高麗神社
住所:埼玉県日高市新堀833
電話:042-989-1403
営業:8:30~17:00
定休:無休
https://komajinja.or.jp/

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by darjeeling_days | 2024-09-21 08:45 | shrine:神社・稲荷神社 | Comments(0)

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