高尾、下恩方の枝垂れ桜巡り
2025年 03月 30日
八王子の北西に位置する高尾や下恩方。この辺りには古刹が多く残っており、大抵そんな寺には、かなり樹齢の古い枝垂れ桜があるのだと聞いた。
おおえどひがん桜がしだれたものが枝垂れ桜で、ソメイヨシノよりも開花時期が早いのだ。今年は幸い桜全体の開花の時期が後ろに2週間ほどずれ込んだので、3月末のこんな日でも、枝垂れ桜見物は出来るのが嬉しい。
おおえどひがん桜がしだれたものが枝垂れ桜で、ソメイヨシノよりも開花時期が早いのだ。今年は幸い桜全体の開花の時期が後ろに2週間ほどずれ込んだので、3月末のこんな日でも、枝垂れ桜見物は出来るのが嬉しい。
最初に訪問したのは、東浅川の興福寺。
静かな住宅街の南端にある曹洞宗の寺院で、1580年(天正8年)、関東十八代官に名を連ねる雨宮勘兵衛の祖に当たる雨宮秀徳が開いたとされる。
1597年(慶長2年)に相模国愛甲郡小野村(現在の神奈川県厚木市)の龍鳳寺の末寺となったらしい。
八王子十八人代官の一つ設楽氏の菩提寺で、設楽家三代の墓もあるという。
境内には古い門が残されているが、割とこじんまりとした設えで、紅枝垂れと山桜が花を開かせていた。
しかし、このお寺の桜と言えば、門前に立つ大きな枝垂れ桜だ。
残念ながらところどころ枝が切り落とされていて、花の付き方がまばらなので、満開という感じがしないのだった。それでも大きな枝垂れ桜だということはよくわかる。
もう少し満開になって花の見栄えにボリュームが付いたら、美しい桜なのだけれどなあ。
静かな住宅街の南端にある曹洞宗の寺院で、1580年(天正8年)、関東十八代官に名を連ねる雨宮勘兵衛の祖に当たる雨宮秀徳が開いたとされる。
1597年(慶長2年)に相模国愛甲郡小野村(現在の神奈川県厚木市)の龍鳳寺の末寺となったらしい。
八王子十八人代官の一つ設楽氏の菩提寺で、設楽家三代の墓もあるという。
境内には古い門が残されているが、割とこじんまりとした設えで、紅枝垂れと山桜が花を開かせていた。
しかし、このお寺の桜と言えば、門前に立つ大きな枝垂れ桜だ。
残念ながらところどころ枝が切り落とされていて、花の付き方がまばらなので、満開という感じがしないのだった。それでも大きな枝垂れ桜だということはよくわかる。
もう少し満開になって花の見栄えにボリュームが付いたら、美しい桜なのだけれどなあ。
次に訪問したのは、高尾駅から南に5分ほど下がった場所にある高楽寺。
このお寺は獨峰山高楽寺といい、真言宗智山派智積院に属する寺院。大本山高尾山薬王院とは特別深い関係がある直末寺院の一つらしい。
開創は明らかではないが、寺に残る文書では、天文二年(一五三三年)、高尾山薬王院の法印(最高位の僧侶の称号)観應和上によって運営されていたと残されているらしいが、高楽寺の前身は、それよりも古く、伝えでは天元二年(九七九年)にさかのぼる。
武蔵の多摩丘陵(八王子)あたりは、横山党といわれる武士集団が全国的に知られた牧場の経営をしていた頃であり、その有力な一人である椚田次郎が椚田の土地に居城を築き、峰山つづきの平坦な峰開戸と呼ばれた土地に御堂が建立され、それがこの高楽寺の始まりともいわれている。



その境内の入り口付近に大きな枝垂れ桜が建っている。
まるでお姫様が傘を被ったような形から、「姫桜」と呼ばれるこの枝垂れ桜は、薄紅色をした花をたくさんつけていて、まさに満開見ごろだった。
この枝垂れ桜は一見の価値があるというものだ。駐車場もあるので、車でも訪問できるのだが、見ものは、この桜一本のみ。だから割と回転は速そうだった。
このお寺は獨峰山高楽寺といい、真言宗智山派智積院に属する寺院。大本山高尾山薬王院とは特別深い関係がある直末寺院の一つらしい。
開創は明らかではないが、寺に残る文書では、天文二年(一五三三年)、高尾山薬王院の法印(最高位の僧侶の称号)観應和上によって運営されていたと残されているらしいが、高楽寺の前身は、それよりも古く、伝えでは天元二年(九七九年)にさかのぼる。
武蔵の多摩丘陵(八王子)あたりは、横山党といわれる武士集団が全国的に知られた牧場の経営をしていた頃であり、その有力な一人である椚田次郎が椚田の土地に居城を築き、峰山つづきの平坦な峰開戸と呼ばれた土地に御堂が建立され、それがこの高楽寺の始まりともいわれている。



その境内の入り口付近に大きな枝垂れ桜が建っている。
まるでお姫様が傘を被ったような形から、「姫桜」と呼ばれるこの枝垂れ桜は、薄紅色をした花をたくさんつけていて、まさに満開見ごろだった。
この枝垂れ桜は一見の価値があるというものだ。駐車場もあるので、車でも訪問できるのだが、見ものは、この桜一本のみ。だから割と回転は速そうだった。
次に行ったのは、高尾駅前の大光寺。
真言宗のお寺で、高尾山の薬王院、第九世源恵上人が元和元年(1615年)に開いたお寺。1720年代の広雄上人に再興され、そこから十六世続いている居心地の良い寺だ。本堂・庫裏・山門は寺院建築としては、珍しい北向に立っているらしい。そういえば、別所温泉の方にも北向き観音というのがあったっけ。
本尊は『阿弥陀如来』。最近になって不動明王も別院に祭られたらしい。

こちらの名物桜は「大光寺御霊木枝垂れ桜」。樹齢400年のエドヒガンの枝垂れ桜なのだというが、残念ながら、既に見ごろは終了。

もう一つが、本堂前にある江戸彼岸桜(樹齢二百年)。こちらもはらはらと散っていて、見ごろはこえてしまっていた。
唯一、高尾駅から真下に見下ろせる若木の枝垂れ桜が満開だった。小さいけれど、花を結構付けていて、大きくなったら見事な桜になるのではと思うような容姿だった。
真言宗のお寺で、高尾山の薬王院、第九世源恵上人が元和元年(1615年)に開いたお寺。1720年代の広雄上人に再興され、そこから十六世続いている居心地の良い寺だ。本堂・庫裏・山門は寺院建築としては、珍しい北向に立っているらしい。そういえば、別所温泉の方にも北向き観音というのがあったっけ。
本尊は『阿弥陀如来』。最近になって不動明王も別院に祭られたらしい。

こちらの名物桜は「大光寺御霊木枝垂れ桜」。樹齢400年のエドヒガンの枝垂れ桜なのだというが、残念ながら、既に見ごろは終了。

もう一つが、本堂前にある江戸彼岸桜(樹齢二百年)。こちらもはらはらと散っていて、見ごろはこえてしまっていた。
唯一、高尾駅から真下に見下ろせる若木の枝垂れ桜が満開だった。小さいけれど、花を結構付けていて、大きくなったら見事な桜になるのではと思うような容姿だった。
今回、一番見事だったのは、下恩方の心源院にある大きな枝垂れ桜。
この寺の開山は、延喜年間(901~923年)と云われ、智定律師が律宗の寺として創建した一宇を醍醐天皇が官寺にして心源鎮静護国院と改めたものらしい。参道にある総門は室町時代のもので四脚門といい大変珍しいものなのだとか。でも、この寺が有名になったのは、むしろ、武田信玄の四女、松姫が、甲斐から八王子に逃げ延びた後、この寺で出家したという言い伝えだろう。八王子周辺には、晩年の松姫由来の遺跡が多く残っている。
その本堂脇に鎮座するのがこの桜。


丁度満開で、とても見事な桜だった。今日はこれが見れたので大満足。

本堂裏手には、15年ほど前に植えられたという紅枝垂れの木が一本あり、そちらも満開だった。
さらに、カタクリの花がまさに満開で、たくさん咲いていたのも、なんか嬉しかった。
この寺の開山は、延喜年間(901~923年)と云われ、智定律師が律宗の寺として創建した一宇を醍醐天皇が官寺にして心源鎮静護国院と改めたものらしい。参道にある総門は室町時代のもので四脚門といい大変珍しいものなのだとか。でも、この寺が有名になったのは、むしろ、武田信玄の四女、松姫が、甲斐から八王子に逃げ延びた後、この寺で出家したという言い伝えだろう。八王子周辺には、晩年の松姫由来の遺跡が多く残っている。
その本堂脇に鎮座するのがこの桜。


丁度満開で、とても見事な桜だった。今日はこれが見れたので大満足。

本堂裏手には、15年ほど前に植えられたという紅枝垂れの木が一本あり、そちらも満開だった。
さらに、カタクリの花がまさに満開で、たくさん咲いていたのも、なんか嬉しかった。
折角来たのだからと、八王子に30年も住みながら、まだ行ったことの無かった八王子城址の入り口を覗いてきた。ただ、八王子城址はハイキング並みに山登りするらしいので、今回は、入口にある城跡茶屋というところで休憩しただけだったけれど。地元の年配の女性がお店を切り盛りしていて、お汁粉がたべられたので、お汁粉を食べた。素朴な味わい。
その帰り道に、宗関寺という寺の門前に、枝垂れ桜があったので、カブとのスナップショットを1枚。
八王子周辺には意外と寺が多くて、さらに、枝垂れ桜の見事な寺が多いのには驚いた。
日本の桜を見に行こう!ツーリングプロジェクト2025に参加しなかったら見に来なかったかもしれない地元の桜。今日はかなり満足な一日だった。
その帰り道に、宗関寺という寺の門前に、枝垂れ桜があったので、カブとのスナップショットを1枚。
八王子周辺には意外と寺が多くて、さらに、枝垂れ桜の見事な寺が多いのには驚いた。
日本の桜を見に行こう!ツーリングプロジェクト2025に参加しなかったら見に来なかったかもしれない地元の桜。今日はかなり満足な一日だった。

by darjeeling_days
| 2025-03-30 15:00
| photo:写真
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