三国屋の鰻を堪能する。
2026年 02月 02日
茅場町の健保に3か月に一回の定期健診に行く。本当は先週だったのだけれど、いろいろとばたばたしていたので、一週間遅れで訪問。
採血採尿して検査結果が出るまで1時間以上必要なので、その間に日本橋髙島屋へ出て、久しぶりに美国屋で鰻重を食した。
このところ、なんだか元気が出ず、鰻食べたいなあって思っていたので(先日鰻弁当食べたはずなんだけれど。)、日本橋なら美国屋なのである。
本当は八重洲のはし本?!とかも思ったのだけれど、ちょっと時間的につらいかもと思った。
採血採尿して検査結果が出るまで1時間以上必要なので、その間に日本橋髙島屋へ出て、久しぶりに美国屋で鰻重を食した。
このところ、なんだか元気が出ず、鰻食べたいなあって思っていたので(先日鰻弁当食べたはずなんだけれど。)、日本橋なら美国屋なのである。
本当は八重洲のはし本?!とかも思ったのだけれど、ちょっと時間的につらいかもと思った。
ここに来たら注文するのは”二段重(鰻大)ののっけ”である。以前は”月川のっけ”だったのだけれど、なんだか表示が変わったみたい。
お重に1本分の鰻がしっかりと乗ったお重だ。
これを頼むといつも書いているとおり、広重風の冨嶽三十六景のお重に入って出てくる。
今回は、三島越だった。これは静岡の三島ではなく、甲州三島越。河口湖~山中湖~籠坂峠(山梨・静岡県境)~御殿場~三島という鎌倉往還を指す言葉らしいのだが、具体的には、この絵は、籠坂峠らしい。国道138号線を山中湖から須走方面に走る途中にある峠。そこから眺めた富士山らしい。
広重の枝と、巨木の周りに3人の男が、巨木の周囲を取り巻くように立っていて、この巨木が如何に大きいかを諮っているような絵になっている。
さっき、広重風と書いたのは、そういうところが省略され、同じ構図の富士山と景色だけが描かれているためだ。
なんとなくこの広重風の冨嶽三十六景のお重で食べる鰻は、自分へのご褒美のようで、嬉しくなるのだった。
お重に1本分の鰻がしっかりと乗ったお重だ。
これを頼むといつも書いているとおり、広重風の冨嶽三十六景のお重に入って出てくる。
今回は、三島越だった。これは静岡の三島ではなく、甲州三島越。河口湖~山中湖~籠坂峠(山梨・静岡県境)~御殿場~三島という鎌倉往還を指す言葉らしいのだが、具体的には、この絵は、籠坂峠らしい。国道138号線を山中湖から須走方面に走る途中にある峠。そこから眺めた富士山らしい。
広重の枝と、巨木の周りに3人の男が、巨木の周囲を取り巻くように立っていて、この巨木が如何に大きいかを諮っているような絵になっている。
さっき、広重風と書いたのは、そういうところが省略され、同じ構図の富士山と景色だけが描かれているためだ。
なんとなくこの広重風の冨嶽三十六景のお重で食べる鰻は、自分へのご褒美のようで、嬉しくなるのだった。
これももう何度も書いているのだが、美国屋の鰻は、江戸前だ。江戸前の鰻はこうあるべし!というお手本のような鰻なのである。
もちろん、背開きで蒸して焼く。そして何よりもたれが甘くなくて、醤油のうまみが凝縮されて、まさに鰻にマッチする味わい。
名古屋人から言わせると、江戸の鰻は鰻ではないというのだけれど、いやいや、あんなに甘くベットリとしたたれを鰻に塗るなんて、鰻本来の味わいが感じられないではないかというのが僕の持論だ。
まさに三島よりも西側は、たれが甘い。江戸風の顔しているにも関わらず、基本的なところで西が混ざっているのが残念至極なのである。
ところが、この甘くないタレというのは、いまだ市民権を獲得していなくて、東京ですら、甘いたれをつけて焼く鰻が多いのが、なんとも許せない。
鰻重の発祥は、人形町のはずなのにである。
西と江戸のこの違いは。江戸時代から続く伝統みたいな差なのだが、江戸時代の文献『守貞漫稿』には、「江戸は醤油に味醂(みりん)を和す、京坂は諸白酒を和す」とある。つまり江戸は、濃い口の醤油にわずかな甘みをブレンドするだけだが、京坂で使った当時の「白酒」は、麹(こうじ)に焼酎やみりんを加えて発酵したもので、甘味があった。これと薄口の澄み醤油を混ぜるので、関東よりも薄味で甘口だったわけで、だから蒸さずに焼くやり方なのだろう。
鰻重ではないうなぎが、西と東、どちらが早いのかはわからない(なにしろ、縄文遺跡から鰻の骨が出るほど、鰻は昔から食されていた。)けれど、鰻重は江戸の味であるべきではないのだろうか?
関東は「濃口醤油にみりんを混ぜて濃口のタレ」。京坂で使った当時の「白酒」は、麹(こうじ)に焼酎やみりんを加えて発酵したもので、甘味があった。これと薄口の澄み醤油を混ぜるので、関東よりも薄味で甘口だった。
日本橋にある美国屋、はし本、小網町の喜代川、本石町のいづもや、大江戸しかり。そしてこういう味の鰻こそ、江戸前の鰻なのである。
そういえば、江戸前の寿司というのも、少なくなった気がする。漬け鮪は江戸の味わいだったのだけれど、そういうのをちゃんと出す店が少なくなったのだよねえ。
ここにくると、いつもそんなことを考えながら、至福の時間を過ごすのであった。
もちろん、背開きで蒸して焼く。そして何よりもたれが甘くなくて、醤油のうまみが凝縮されて、まさに鰻にマッチする味わい。
名古屋人から言わせると、江戸の鰻は鰻ではないというのだけれど、いやいや、あんなに甘くベットリとしたたれを鰻に塗るなんて、鰻本来の味わいが感じられないではないかというのが僕の持論だ。
まさに三島よりも西側は、たれが甘い。江戸風の顔しているにも関わらず、基本的なところで西が混ざっているのが残念至極なのである。
ところが、この甘くないタレというのは、いまだ市民権を獲得していなくて、東京ですら、甘いたれをつけて焼く鰻が多いのが、なんとも許せない。
鰻重の発祥は、人形町のはずなのにである。
西と江戸のこの違いは。江戸時代から続く伝統みたいな差なのだが、江戸時代の文献『守貞漫稿』には、「江戸は醤油に味醂(みりん)を和す、京坂は諸白酒を和す」とある。つまり江戸は、濃い口の醤油にわずかな甘みをブレンドするだけだが、京坂で使った当時の「白酒」は、麹(こうじ)に焼酎やみりんを加えて発酵したもので、甘味があった。これと薄口の澄み醤油を混ぜるので、関東よりも薄味で甘口だったわけで、だから蒸さずに焼くやり方なのだろう。
鰻重ではないうなぎが、西と東、どちらが早いのかはわからない(なにしろ、縄文遺跡から鰻の骨が出るほど、鰻は昔から食されていた。)けれど、鰻重は江戸の味であるべきではないのだろうか?
関東は「濃口醤油にみりんを混ぜて濃口のタレ」。京坂で使った当時の「白酒」は、麹(こうじ)に焼酎やみりんを加えて発酵したもので、甘味があった。これと薄口の澄み醤油を混ぜるので、関東よりも薄味で甘口だった。
日本橋にある美国屋、はし本、小網町の喜代川、本石町のいづもや、大江戸しかり。そしてこういう味の鰻こそ、江戸前の鰻なのである。
そういえば、江戸前の寿司というのも、少なくなった気がする。漬け鮪は江戸の味わいだったのだけれど、そういうのをちゃんと出す店が少なくなったのだよねえ。
ここにくると、いつもそんなことを考えながら、至福の時間を過ごすのであった。

by darjeeling_days
| 2026-02-02 12:30
| Japanese food:和食
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