Darjeeling Days:walking:散歩
2024-02-07T09:54:42+09:00
darjeeling_days
美味しいものを食べて、旅して、写真を撮って、本を読む。そんな日常の極上の楽しみを切り出した、至極個人的なブログです。https://www.tearecipe.net/
Excite Blog
”Darjeeling Days”へようこそ!
http://teesta.exblog.jp/28435663/
2012-12-31T23:59:00+09:00
2023-11-01T16:17:00+09:00
2021-02-09T11:11:00+09:00
darjeeling_days
word:言葉
Darjeeling Daysとは?
このブログは、2004年にexblogでスタートしたblogを踏襲したもので、
一時FC2に移転した後、再びこちらに戻り継続しているものです。
(経緯はこちらをご覧ください ⇒「ブログスタート!」)
1996年にウェブサイトを始めたころから
ウエブ日記のようなものを公表するようになりました。
最初は坦々とその日の出来事を日記として綴っていましたが、
そのうち、blogブームになり今よりも格段にアクセス数も多かった頃には、
日々の出来事をblogにそのまま書くのは今一つ恥ずかしすぎるので、
一日の中であった出来事の中からこれはということを切り出して
ここに綴っておこうと思うようになり、
現在に至りました。
最近の興味は
・食べ歩き 和・仏・伊・洋・中・エスニック
・パン屋さん巡り
・神社巡り
・温泉
・旅
・万年筆、インク、紙
・本
・料理(炊き込みご飯とパスタ)
・カメラ・写真
・雑誌作り
と、なんとも幅広くあれこれ好き勝手に
興味の対象があちこちにぶれますが、
そんな日常のあれこれを超私的に彷徨するBLOGが
このDarjeeling Daysといったところです。
過去記事に穴あき部分が多々ありますが、
時間がある時に過去の記事もUPしています。
その意味では、まあ、個人的には
完全な備忘録日記という感じでしょうか。
では、では、
ゆるゆるとお楽しみいただければ幸いです。
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ちなみにDarjeeling Daysとは、
「ダージリンでの日々」という造語で
僕自身、紅茶ダージリンがめちゃくちゃ好きなので、
いつかダージリンに行って過ごしたい、
そんな願望からこの名前を使うようになった次第です。
季刊誌の名前も、あちこちのSNSも
基本、Darjeeling Daysをメインに利用しています。
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Darjeeling Days編集部 K.H
https://www.tearecipe.net/
(注)
ちなみに、僕はこのBlogの中で「妻」のことを「家人(かじん)」と呼んでいます。
家人といっても家人(けにん)ではありません。
家人(けにん)といってしまうと、家につかえる者とか
家来。古代の奴隷(どれい)的賤民(せんみん)という
意図した意味とはまったくちがうことばになるので、要注意であることは理解しています。
いまはフェミニストと称する一部の妙な人たちが
言葉狩りまで始めていてとても居心地が悪いのですが、
それを気にしてというわけではなく、
「妻」よりも「家人」と呼ぶ方が、
僕にとっては「自分との位置関係」においてフラットだと思うからです。
なかには家人(かじん)という言葉も
絶対権力をもった主人からみた家の中にいる人を意味すると解する人もいるようですが、
僕はそのような意味で使っているのではないことを
ここに記しておきます。
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神保町古書店街とカフェ
http://teesta.exblog.jp/29853746/
2024-02-04T14:30:00+09:00
2024-02-07T09:54:42+09:00
2024-02-07T09:54:42+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
ランチの後は、古書店街をぶらぶらと歩いた。
まずは、靖国通りにそって、神保町から小川町方面へ。メインのとおりの大きな古書店は、どうやら日曜日定休日らしい。立ち寄ろうと思っていた悠久堂もシャッターが下りていた。そういえば、まだ若かりし頃、ああ、ここは日曜日に来てはいけない町なんだと思ったということを思い出したりした。ただ、全部が店を閉めているわけではないので、空いているお店の転倒に並んでいる本などを物色してみることにした。
駿河台下の交差点までぶらぶらした後、そういえば、近所に一度は行ってみようと思っていた喫茶店があることを思い出して、足を延ばしてみたのだけれど、目当ての眞踏珈琲店は満席だった。
少し戻って桜通りへ。三省堂のビルが工事中で、なんだかそこだけぽっかりと空間が開いている感じだったけれど、文房堂やら東京堂書店は店があいていたので、ぶらぶらと覗いてみた。文具も本も、いろいろと並んでいたけれど、これと言って収穫はなく、そのまま再び桜通りを神保町方面へ。
TAKANOで紅茶でも飲むかと思ったのだけれど、なんだか今日は珈琲の気分。
ならばミロンガ・ヌオーバとかラドリオ、あるいはさぼうるに行くかと思って、ずんずん歩いて行ったのだけれど、ミロンガもラドリオも満席。さらにさぼうるは日曜定休だった・・・。そういえば、ちょっと離れているけれどLもあったかと思ったけれど、ここも日曜定休日。
昔風のカフェがある街なので、そういう店目当ての人たちが、日曜日は押し寄せるのだろうか・・・。
他になにかあったっけと思い、Google Mapで探してみたけれど、ここといった店がなく、Glitch Coffee and Roasters JINBOCHOは反対方向だしなと思い、結局諦めてしまった。Kanda Coffeeにでも足を延ばせばよかったか・・・。
結局そのまま神保町の交差点を渡り、さらに下した方向に続く古書店街を冷やかしながらあるいた。
久しぶりに矢口書店の前を通ったけれど、今日は撮影をしている人はいなかった。前回歩いた際に(2021年)、台湾の人たちが大挙してここで写真を撮っているのを見かけたのだった。なにかアニメとか映画に登場した?それとも、単にインスタ映えしそうということだったのか?でも、今日はほぼ人がいなかったところを見ると、単に目に付いたからということだったのかもしれないなあ。ということで、インスタ映え狙って撮ってみたけれど、普通の古書店の写真になった 笑。
結局カフェ難民となり、そのまま九段下まで歩いてしまった。休日のカフェは狙えないということだね。かといって平日はなかなかれないしなあ。オフィスからはたった2駅なんだけれどね・・・。
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浅間温泉散策
http://teesta.exblog.jp/29716720/
2023-09-22T09:30:00+09:00
2023-10-10T09:34:00+09:00
2023-10-10T09:34:00+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
今日はのんびりできるので、朝ごはんの後、一人でぶらぶらと浅間温泉を散策してみた。
松本十帖松本本箱のある通りが湯坂通りといって、温泉街から登ってくる坂道になっている。そこからまず坂を上って、浅間温泉名物「浅間小菊最中」で知られる和菓子処「平和堂菓子店」へ。
昭和の早い時期に建てられたような感じの建物が、歴史のある浅間温泉には似合っていた。
温泉街が栄えていた頃には、芸者さんたちの手土産として使うために、各種和菓子を製造していたらしいが、今では、名物小菊最中のみとのこと。それでやっていけるのなら、それでいいのかもしれないが、なんかちょっとそれでは淋しいような気もした。
平和堂菓子店
住所:長野県松本市浅間温泉3−11−7
電話:0263-46-1182
平和堂の前の小道をさらに登っていくと、左手に現れるのが「哲学とあまいもの。」
ここは松本十帖が手がけるカフェの一つ。温泉街を人が回遊するようにとこのカフェを作ったらしい。
古今東西の哲学書が置かれていて、コーヒーと甘いものを楽しみながら、じっくりと哲学書を読んだりし唯にふけることができる店。
メニューは、各種珈琲(ハウスブレンドや、ペルー、グァテマラ、コスタリカ、ブラジル、ボリビアなどの南米系の豆が中心らしい。)、水出しアイス珈琲、ココア、ハーブティ、ホットレモン、自家製レモネード、リンゴジュースなど。甘いものは、自家製プリン、コーヒーゼリー、ミルクゼリーなどがあるらしい。ランチタイム(12:00~15:00)には、カレーなども食べられるらしい。
まだ空いていなかったので、その空気には触れられなかったのだけれど、なんとなくコンセプト的には読書カフェのfuzkueみたいな感じなのだろうか?こういうお店は結構好物なので、じっくりと堪能したかったなあ。ちょっと残念。
哲学と甘いもの。
住所:長野県松本市浅間温泉3-12
電話:0263-46-0500
営業:10:00~17:30
https://matsumotojujo.com/journal/archives/924
哲学と甘いもの。を通り過ぎるとT字路に突き当たる。そこを右に行くとすぐに西宮恵比寿神社があるらしいが、左に折れてゆ薬師方面に向かうことにした。直接行くことができず、一旦山の手通りに戻る。このあたり民家が並んでいるが、どの家の庭にも、コスモスが綺麗に咲いていた。
山の手通りにでると、すぐのところに「山の手使い湯」というのがあった。この使い湯と湯薬師の間にある「一号源泉」からひいた温泉をここで汲んで、地元の人が持ち帰る施設らしい。ちょろちょろと流れる温泉は、意外とぬるい。
なんでもここの湯は飲めるらしい。コップがぶら下がっていたけれど、それは使わずに、手に少量受け止めて飲んでみた。これで茶を入れたりするとまろやかなんだとか。ただ、微妙な硫黄香がするので、量は飲めない感じだった。
山の手使い湯の脇の路地を入っていくと正面に湯薬師があった。もともと浅間神社発祥の源泉があった場所らしい。松本藩の殿様用に作られたという御殿湯にもここの湯が惹かれていたとかで、病気平癒の神様であるお薬師様を祀ることで、さらなる温泉の効能に期待をしたのかもしれない。
湯薬師の本堂脇には、双体道祖神が祭られていた。
湯薬師のすぐ手前には、地元の人向けの共同浴場があった。浅間温泉は面白いことに、数か所の共同浴場があるのだけれど、基本は、地元の人オンリーらしい。松本十帖のレセプションでもある「おやきと、コーヒー」のしたにも共同浴場があるのだが、残念ながら地元の人用。もちろん観光客向けに日帰り湯をやっている旅館や施設もあるのだけれど、どうせならこういう温泉地らしい共同浴場にも入ってみたいなあと思った。
聞くところによると、地元の人は熱目の湯が好きらしく、共同浴場の湯は熱目の設定なんだとか。本箱の湯は意外とぬるかったからなあ・・・。
今度は西に向かって足を進める。すぐのところに、日帰り温泉 坂本の湯という施設があって、ここは誰でも日帰り湯ができるようだった。さらにその奥には湯々庵枇杷の湯というのがあるが、ここに殿様の風呂である御殿跡があったらしい。枇杷の湯も日帰り温泉になっている。朝から入りに来ている観光客が数組いた。旅館に風呂があるから、こういう施設に入りに来るという発想がなかったが、枇杷の湯は、御殿跡を見学できるので、入りに来てもよかったかもしれない。
さらに歩を西に進めると、「じっさばばさ石」というのがあった。実は、discordという昔のnifty serveのようなモンタージュのSNSがあって、twitter(なんだかXって言いにくい)で知り合った石神好きの人たちと「路傍の会」という場所で会話をしているのだが、そこに「ウバ(乳母・婆)伝説、信仰」というセクションがあって、全国津々浦々に「婆」にまつわる石碑や石祠に関する会話をする場所がある。この「じっさばばさ石」もそんな場所で会話する素材としては、なかなか面白い物だった。以外と姥伝説は各地に存在するのだ。
この石は昔は2つあって、それぞれじっさとばばさだったが、工事の時にどちらかが無くなり、今は一つなのだとか。そのせいか、ここをカップルが通ると分かれるという言い伝えがあるらしい。
そしてそのすぐ横には、延命地蔵尊があった。信州高遠藩の有名な石工である守谷貞治(もりやさだじ)の手掛けたものらしい。実は、路傍の会でも、以前から守谷貞治の作品に関しては話題にはなっていたのだけれど、まったく見たことが無かったのでスルーしていたのだけれど、おお、これがその一つなのかと、今回しげしげと顔を眺めてしまった。確かに普通のお地蔵さんとは違った、少しだけひょうきんなお顔をしていた。
守谷貞治の作品は、生涯において350体の仏様をてがけたらしく、1都9県(東京都、神奈川県、群馬県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県、三重県、兵庫県、山口県)に点在しているらしい。この手の石仏にハマると、1都9県歩き回る羽目になるので、できる限り近づかないようにしておこうと思う。
さて、今度は南に進路を変えて、坂道を下っていく。路地を何度か曲がると、浅間温泉の中心的な「湯けむり公園」にでた。ここはその昔、松本から浅間温泉まで市電が通っていて、その浅間温泉駅の跡なのだとか。
いまは、ここまでバスが通っているが、昔は多くの人がやってくるので、電車が何往復もしていたのだろう。すっかり市電が姿を消してしまった地域が多いのだが(札幌、広島、富山とか松山など、まだ市電が残っている地域が健在するのは嬉しい。)、こういう温泉街には、是非とも市電は残してほしかったなあ。道後温泉も相だけれど、温泉と市電、とってもマッチして、結構人気になったのではないか。
そのまま昨日チェックイン手続きをした「おやきと、コーヒー」の前を通って中央通りを進むと、スズラン通り、湯坂通り、湯の町通り、そして中央通りがぶつかる交差点がある。その一角にあるのが、土産屋さんの宮田名産店と宮島商店だった。昔ながらの温泉饅頭などを売っている。
宮島商店の前に「おしんこ餅」という旗や張り紙が出ていたのだが、おしんこ餅???浅間温泉の郷土菓子「おしんこ餅」を唯一販売しているお店だというが、そもそもおしんこ餅とはなんぞや?。どうやら漬物のおしんことは関係なく、米粉である「新粉(しんこ)」を使った餅ということらしい。米粉を水で溶いて餅状にして、中にあんこをいれたお餅がここの名物だというのだそうだ。なんだかややこしい名前だこと。
この交差点の北側には、なんと温泉に入っている双体道祖神がいるということだったので、見てみることにしたが、本当に温泉に入っていた。
浅間温泉には、無病息災、五穀豊穣、子孫繁栄などを願う夫婦道祖神(双体道祖神)が点在しているが、湯浴中というのは全国でも珍しいらしい。面白いものをみた。
そして最後に向かったのはスズラン通りを西に向かったところにあるホットプラザ浅間。
ここは大浴場や露天風呂がある日帰り湯の施設だ。面白いことに、中には食堂などがないために、近隣から出前を取って食べることができるのだとか。中には入らなかったが、ほのぼのとしていい感じだった。
このホットプラザ浅間の前には、足湯があり、浅間温泉の祭りである松明祭りというの有名らしくその祭りに用いる藁の束が展示してあった。
松明祭りは、浅間温泉にある御射神社浅間の宮(春宮)、三才山山中にある御射神社奥宮(秋宮)のお祭りで、住民の生活安泰、五穀豊穣を守るため、毎年暮れに奥宮から浅間の宮に下られた神が、秋のとり入れの終わるころ村人の奉納する松明の火におくられ、空一面に漂う煙にのって、再び山中の奥社へお帰りになりなる様を表現しているらしい。
奉納されるたいまつは50本ほど。「むぎわら」を束ねたもので、中には長さ三メートル余り、直径二メートル以上もある大きなものもあるという。軒をならべた温泉街の中、数人の若人たちが燃え上がる松明をかけ声をかけながら練り歩き、炎と煙に包まれて豪壮な火焔太鼓(かえんだいこ)が鳴り響く祭りなのだとか。来月開催されるというのだけれど、一度見てみたいものだと思った。
浅間温泉 ホットプラザ
住所:松本市浅間温泉3-16-3
電話:0263-46-1224
営業:9:00~17:00
定休:無休
https://hotplaza.jp/
小一時間、ぶらりと温泉街を巡ってみたが、昔の喧騒は全く感じない、やはり淋しくなってしまった温泉街という感は否めない。その中で、松本十帖がなかなか頑張っているのだなというということを強く感じた。こういう温泉地のリノベーションは、どこか一つの宿のリノベだけでは賄え切れないほどの様々な努力が必要なのだろう。名門温泉街である浅間温泉ですら、こんな感じなので、いかに集客するかは、地方振興にとって、大きな課題だ。外国人に頼った一時的なオーバーツーリズムのインバウンドは見ていられないが、こういうところにこそ、観光資源を売りにした、振興策が施されるといいのにね。
浅間温泉観光協会
住所:松本市浅間温泉3-16-3
電話:0263-46-1800
https://asamaonsen.com/
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秋行く街で
http://teesta.exblog.jp/29393610/
2022-10-16T11:00:00+09:00
2022-10-19T07:37:13+09:00
2022-10-19T07:37:13+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
今日も、近隣をぶらぶらと散歩。折角なので、GoProを胸にくっつけてぶらぶらと歩いてみた。
なんだかもう、すっかりあたりの木々の葉は色づいている。まだ紅葉ではなく、いわゆる「褐葉」なのだけれど、こんな風に色づく木々をみると、この間まで暑かったのになあなどと思ってしまう。もうすっかり秋なのだなあ。10月も中旬なのだから当たり前か。それにしても、昨日はすぐ近くの小学校で運動会をしていたのに、今週末はなんか天気が今一だ。「天高く馬肥ゆる秋」というのになあ。
11月下旬に大阪出張が入ったのだけれど、ついでに京都に寄ってこようかなと思っている。もう紅葉は遅いだろうか?でも、知り合いがinstagramで今頃金木犀の花が咲いたなどと書き込んでいたので、こっちと気候は半月ぐらい遅いのだろうか?
GoProで撮った動画を編集してみたけれど、やっぱり普通に歩きながら撮ると、上下動画画像にしっかり反映されてしまう。思いの他ぶれずに、写ってはいたけれど。これがオートバイとか自転車なら、そんなに影響ないだろうか。
しかし、GoProの動画フォーマットがWindows10では、そのまま再生や編集できないことを知り、ちょっとがっかりした。そもそも僕のPCのスペックが動画編集には追い付いていけないというのも大きな原因なのだけれどね。やっぱりPC買い替えるかな。でも、どうにかデコードしたりして編集してみた。どんどんこうして欲しいものが増えてしまうのだから、まだまだ仕事はやめられないなあ。
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坂を散歩する
http://teesta.exblog.jp/29333452/
2022-09-13T06:45:00+09:00
2022-09-17T21:28:58+09:00
2022-09-17T21:27:20+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
久しぶりに市ヶ谷で降りてオフィスまで歩いた。歩いた時間は30分程度。距離にして1.5km。これでは歩いたことにならんわいなあ。昔は5㎞はあるいてたのだけれど。もう少しすずしくなったら新宿から歩くかな。
で、市ヶ谷側から麹町、番町方面へは登りになる。市ヶ谷は外堀の一角にあたるので、高台になっている麹町へは、登らざるを得ないわけだ。おのずと坂があれこれあって、江戸時代から残されている坂にはあれこれ由来が書かれているのが面白い。
半蔵門周辺の坂については一度書いているのだけれど、今日歩いてみて、なんかそのネーミングがとっても面白いことに気が付いたのだ。意外と人間の名前がそのままついてたりする。
まず、市ヶ谷からすぐ登ったところにある坂が、「帯坂」。これはちょっと怖い坂で、「いち~まい、に~まい」と皿を数えるという例の怪談「番町皿屋敷」の主人公お菊が、紙を振り乱し、帯を引きづってここを駆け抜けたから「帯坂」と名前が付けられたらしい。だけど、お菊は井戸に投げ入れられて、井戸で皿をかぞえているのだから、ここを駆け抜けるというのはおかしな話ということが、ここの坂の説明に書かれている。ちなみに、番町皿屋敷とこんがらがる話に播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』(姫路城にその井戸が残っている。)があるが、べつものだ。
もう少し四谷方面にいくと、例のお岩の怪談(四谷怪談)が有名な稲荷神社があるけれど、そのお岩がとおったという話もある。いずれにせよ、階段の主人公になるような怨念の塊みたいな幽霊が通った道という話はちょっと怖い。知らずに登って来て、その坂の一番上にこの標識があるのがなんとも腰砕けだ・・・。
そこから進路を東にとり、番町の高級マンション群の間を抜ける。駅からちょっと離れていて、坂をのぼらんといかん、こんな高台がなぜ、皆が住みたがる番町のマンション群なのか?地盤がしっかりしているというのはその通りなのだろうけれど、ちょと不便。まあ、こんなところに住む人たちは、みな運転手付くの車でどこかへ行くのだろうから、そんなことは気にしないのか?ともあれ、ガレージには外車があれこれと並んでいるのが、ここいらが庶民の世界とは別世界であることを実感させられる。
東郷元帥記念公園まで行き、こんどは南に折れる。この公園、工事中で入れないのが残念。この近隣は、意外と昔から文化人が住んでいたんのだけれど、そういえば串田孫一の住居跡があったよなときょろきょろしていたら、丁度通りかかったミニパトの婦警さんに変な目で見られてしまった。職質されないでよかった 笑
南に向かうといったんぐんと坂を下るのだが(東郷坂というらしい)、公園が途切れ番町学園通りを渡ったあたりから再び上りになる。この辺りは標識を見落としてしまったのだが、「行人坂」とよばれているらしい。
なんでも江戸時代の古い本には、古某法印という行人が近所に住んでいたからこの名が付いたと書かれているらしい。法印という人は結構住んでいたのだろうか。
行人坂を上り、番町文人通りを渡ると、一転今度は下りになる。個々には名前が書かれていないが「法眼坂」というらしい。番町中央通りからさらにその勾配が増すのだが、ここから坂は「南法眼坂」と名前を変える。法眼とは、先の行人「古某法印」と同じ人「斉藤法眼」をさすのだという。ちょうどこの坂の途中には、どこかの企業の立派な寮があって、すごいなあという感じなのである。
ところで、後で知ったのだけれど、東郷坂、行人坂、そして南法眼坂は、一つの坂として認識され「南法眼坂」と呼ばれることもあるらしい。もともとは「法印坂」だったらしいけれど、それがなまって法眼坂になり、一番南の坂なので、南法眼坂と呼ばれているという話もどこかに書かれていたっけ。
これを下りきるともはや、ランチタイムのテリトリーに突入だ。突き当りを左に折れると、半蔵門線の半蔵門駅の一番北側の入り口付近にたどり着く。
半蔵門駅前通りというところにぶち当たりそこを北に進むのだが、僕がよくいくパン屋”ル・グルニエ・ア・パン 麹町店”あたりまでは結構な登坂になっている。
この坂は永井坂と呼ばれるらしい。坂が長いから長い坂が変化して永井坂になったらしいというのは真っ赤なうそで、この辺りに永井兄弟という旗本が住んでいたからそこから名付けられたらしい。なにやら兄弟と聞くと、悪いことしてたか、逆に善行をおこなって有名になった兄弟かなどと思ってしまうが、あまり関係ないらしい。
地下鉄半蔵門線の改札を結ぶ地下道は勾配もなく、南北をまっすぶに貫いているので、たとえば、欧風カレーアラカンパーニュなどへ行くときは、これらの坂を通らずに、半蔵門線の地下道を通った方が、楽だというのを最近しった。坂の下をぶち抜いているのは面白いなあ。
そんなわけで短い距離だが、ふらりと「ブラタモリ」的に歩くとなかなか面白い朝散歩なのであった。しかし、江戸は江戸時代以前の遺構が少ないのが玉に瑕。あ、でも貝塚から取った貝坂があったっけ。貝塚がこの辺にあるというのはなんとも面白い。縄文海進と、弥生の海退大きく人の住む地域も変わったのだろう。
そんなことを考えながらぶらぶら歩いた朝だった。
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百日紅について
http://teesta.exblog.jp/29312788/
2022-08-27T11:15:00+09:00
2022-08-28T14:29:16+09:00
2022-08-28T14:26:51+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
このところ、家人の体調が悪かったせいもあり、休日は家に閉じこもっていることが多かった。おかげで、運動不足やら、家にいるとお菓子を食べてしまう習慣から、すっかり体重が増えてしまった。来週は定期健診なのにやばいよねえ。というわけで、久しぶりに散歩することにした。
しかし蒸し暑い。ちょこっと歩いただけで汗が噴き出す。幸いオヤジのように(おやじだけど)、首からタオルを巻いて家を出たので、汗対策は大丈夫だったけれど、なんだか蒸し暑かった。
この時期、公園を散歩していると、結構目につく百日紅。もともとは、去るが木に登ろうとしても滑って登れないぐらい、木の地肌がすべすべしているところから、サルスベリの名が付いたといわれているが、なぜかサルルベリを漢字で書くと”百日紅”になるのはなんでだろう。
「猿滑」とも書くらしいけれど、百日紅がメインに使われている。これは、花の時期が長くて、花が紅色をしているところからついた名前らしい。100日というと3か月。確かに百日紅は7月上旬から10月ぐらいまで花が咲くのだけれど、なるほど100日は長いけれど、90日ぐらいは咲くことになる。
赤いというよりも、ピンクなので、紅という色の表現があっているのかは微妙だ。こんな色の花だから、てっきり明治期に海外から輸入されたのかと思ったのだけれど、古くから日本にある木だったらしい。2010年5月に平等院(京都府宇治市)鳳凰堂前の「阿字池」の底にある940年ごろの地層からサルスベリの花粉が発見されたらしい。文献上では、江戸時代初めのころに書かれた「1604年に京都の醍醐寺に植えられた」という記載が一番早かったらしいが。2010年に発見されたのは、平安時代の940年ごろの地層からということらしいので、やはりその頃には日本に入って来ていた木ということなのだろう。
それにしても、そんな昔からあった花ならば、「紅」と形容したのはなんでだろう。和色で考えると、「韓紅」に近いので、まあ紅の一種と認識されたのだろうか。今の時代の紅は、もっと赤い色を想像させるけれど、躑躅色から深緋(こきひ)間の紅系の色に当てはまりそうな色があれこれあるのだけれども。
真夏の草花は、和花として百合、桔梗、朝顔、橘、山たづ、卯の花、屎葛(ヘクソカズラ)など、割と和の色そのものの花が多い。なので、そんなイメージが強かったのだけれど、こんな百日紅の花が和の花の一種だなんて、なんかいい感じだなと思った。
ぶらぶらと真夏の、でも、どこかに秋の気配を感じながら、散歩する公園で、時にはこんなことに思いを馳せるのも面白いことかもしれない。
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懐かしの町田へ
http://teesta.exblog.jp/29288447/
2022-07-31T11:25:00+09:00
2022-08-03T11:11:59+09:00
2022-08-03T08:32:49+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
久しく町田に来ていなかった。最後に来たのは、2018年3月の駒沢敏器の墓参の帰りだから、もう4年も間が空いてしまっていたということか。そりゃずいぶん来ていなかったのだなあ。久しぶりに歩く町田の駅前も、昔懐かしの店がある一方、あれ?あの店がないというところが多くて、なんかとても不思議な気分だった。
町田は10歳から30歳まで住んだ、いわゆる今の僕のベースを作る時期に育った町だ。その後、相模大野、南大沢へ移り、いまや南大沢が一番長い間住んでいるのだけれど、それでも、故郷という言葉で思い浮かぶのが”町田”なのである。
上の写真は、僕が高校の頃までは平和相互銀行だった。三井銀行に吸収されて店舗が閉店し、その後マクドナルドになって今に至る。町田駅界隈では象徴的なビルだった。
驚いたのは、その斜め向かいにあった”マルカワ”が無くなっていたこと。マルカワは、町田に住んでいた若者がなからず行ったことがあるはずのジーンズの店だった。例にもれず、僕も初めてジーンズを買ったのはマルカワだった。なんでも去年の3月に本店を閉店し、今は座間店、湘南店、藤沢湘南台店が残るだけになったという。でも、オンラインショップは健在らしい。
そしてマルカワの跡地はいまはパソコン工房に変身。パソコン工房は、ゲーミングパソコンを中心としたBTOパソコンの店。最近勢力を伸ばしているという。ちょっと店のネーミングがべたすぎるので、マウスコンピュータに比べるとずいぶん近づきにくいけれどね。
その横を通って久美堂方面に進むと、右手に金子園 町田店がある。ここは、僕が中学の頃からある町田の老舗だ。お茶の店であるにもかかわらず、ここの営業がえぐいので有名だった 笑。以前は大量にほうじ茶の匂いを垂れ流し、道行く人にほうじ茶をふるまい、割と強引に茶を買ってと勧誘するお茶屋さんだったのだ。今でも店頭で茶をふるまっているのは変わらなかった。
その向かい側の路地は、駒沢敏器と出会いMorgen Roteが生まれた喫茶店K&Aがあった場所だ。高校3年の時につぶれたK&Aの後には、カフェドサンパという喫茶店ができたのだが、いつの間にかなくなって、いまは串カツでんがなになっていた。串カツでんがなは、最寄り駅にもあるなじみの店。チープな作りでコスト削減しているから、あちこちにチェーン展開できるのだろうか。
その並びの路地に迷い込むと、なんとあの有名な(さんざん息子に”うまい”と聞かされたので)Shogun Bugerがあった。こんなところに?という感じだ。どうやら11時半開店らしく、それを待つ若者たちが開店を待っていた。いつか食べてみたいのだが。
その先に進むと、Hotel新宿屋が健在だった。町田はその昔、八王子に集積した絹を横浜に運ぶ絹の道が通っていた街道筋。そこに旅籠としてできたのが、この新宿屋。創業明治38年の町田一の老舗だといえる。一時期はラブホテルとも呼ばれていたが、今はれっきとしたビジネスホテルだ。小~中学生のころ通っていた学習塾で、一緒だった友達の中に、新宿屋の息子がいたっけ。それ以来会っていないけれど、いまはここの社長だろうか?
そしてその向かい側には、久美堂(書店)が健在だった。あか抜けない田舎の書店だったから、僕らはもっぱらジョルナにあった有隣堂(いまはモディ=昔の大丸に入っている)ばかり行ってたけれど、今もまだそんなあか抜けない田舎の雰囲気が濃厚に残っていて、逆にうれしく感じるのだった。思わず店内を一周してしまった。
今度は旧町田街道をJR町田駅方面へ向かう。旧町田街道には、昔”吉川百貨店”とか”長崎屋”があって、町田のメインストリートだったのだが、今では、飲食店ばかりになってしまった。ずんずん進むと大きな道路に突き当たる。原町田大通りというらしい。昔はこんな道はなかったのだけれど、このおかげで町田駅前の混雑は若干緩和されることになったらしい。この道の開発でアーケードの昔ながらの商店街が一つ消滅したが(その商店街の入り口にあった北海道ラーメンの店がめちゃくちゃうまかったのを覚えている)、其の開発のおかげで、109(閉店してしまったが)ができたり、新規のビルが建ったりした。
東急ツインズは、健在だ。これは高校の頃にできたビルだったはず。東西に2つのビルがちょうど原町田大通りを挟んで立っている。JR町田駅の導入的な位置づけのビルでもある。いまは東急ハンズがここに移転してきたのだが、以前は町田バスターミナルのビルが1棟東急ハンズだったっけ。
その前の道をジョルナ方向に進む。町田では有名な”駆け抜け通り”だ。町田にはむかし小田急の新原町田とJRの原町田の二つの駅があり(今は両方とも町田駅になったが、位置は変わらず。駅を結ぶデッキができたので、駅間を移動する人は、そっちを通るので、ここは使わず。)、その間が若干離れていたため、乗り換えの人たちはここを走ってもう一つの駅に行ったことから名付けられた。今では、立派な”町田ターミナルロード”なんていう名前がついている。町田一の繁華街地域だろうか。ここも新旧入り乱れていろんな店がある。知らない間に、ラーメン屋がたくさんできていたなあ。
そしてジョルナ。この商業施設には、本当にお世話になった。このビルの上には、昔有隣堂と新星堂があって、本とレコードを物色できた。さらにノイズといういJAZZ喫茶もあって、StaffとかWether Report、スクエアなどの曲が良くかかっていた。中学時代に交換日記をした女子は、その後、別の高校に行ってしまったのだけれど、ある日、彼女がここのCMポスターモデルに起用されて、一時期ジョルナが彼女の顔であふれていたことがあって、なんかキュンとしたのをよく覚えている。美人さんだったものねえ。
そしてこれまた老舗の喫茶店”ロッセ”。K&Aが無くなって行き場がなくなった僕らは、カフェ・グレができるまでの間、あちこちを放浪していたのだけれど、美味しいコーヒーが飲める店として筆頭に掲げられていたのが、このロッセだ。そういえば、カフェドサンパのマスターは、ロッセ出身だったのではなかったか。当時かなり年配だと思っていたロッセのマスターが、まだ健在だったのには驚いた。もう80台後半ではないのかなあ。自家焙煎の店などまだまるっきりなかったころから、ここでは自家焙煎珈琲を出していて、”ドンゴロス”(コーヒー豆を入れる麻の袋)という言葉を知ったも、僕がコロンビア好きだと認識したのもロッセだった。
そして、仲見世通り。ここも懐かしい。入口の焼き小籠包の店は、あちこちで取材されているらしく、今日も列ができる人気ぶり。昔は大判焼きの店だった記憶がある。エスニック風の料理店や寿司屋など、割と新しい店もいくつかはいっているのだが、それにしても、シャッターの降りた店が多いのは、なんか残念だ。こういうディープな市場通り的な商店街は、ずっと残っていて欲しいのだけれどなあ。
この後、仲見世の中央に位置する”七面”でいつものタンメンを食べたのだった。
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半蔵門周辺の坂を歩く
http://teesta.exblog.jp/29271629/
2022-07-15T22:41:00+09:00
2022-07-16T22:50:59+09:00
2022-07-16T22:50:59+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
今日はテレワーク。折しも、東京のCOVID-19の感染者数は昨日16662人。7月1日の段階で3546人だったのになあ。今月からテレワークできるようにしたのは良かったということだろう。感染が急拡大しているのは、オミクロン株のBA.5がはびこり始めたということらしい。これは、「免疫逃避」が起きやすいウイルスだということらしい。昨日丁度4回目のワクチン接種の案内が来て、丁度前回から5か月たった8月12日に予約したところ。やっぱりじじいは、ちゃんとワクチン接種しておかないとねえ。割と周りの人間がコロナ感染したという話きいているので、ちょっとランチの外食も控えめにして、弁当を中心にまた耐えしのぐのだろう。
ということで、最近テレワークだと、早朝から夜遅くまで移動がない分よりしっかり仕事してしまい、”俺ってワーカホリックだった?”とか思ったりする。まあ、それだけやることが多いということなのだけれどね。もう少しスタッフ増やして楽したい・・・笑。
こんな状況なので、オンとオフのメリハリはつけないといけない。今日みたいな雨のオフには、このところ早朝にオフィス近隣を歩いて思ったことなどを、PCやiPadの地図アプリなどで確認してみるのがちょっとしたブームになっている。
ブラタモリ的な話しなのだが、この辺り、実は坂がとても多い。半蔵門駅の南側、丁度新宿通りあたりをピークにして、南北に下っている。以前書いたように、市ヶ谷や九段下側から半蔵門方面に歩くと登りになる
一方、赤坂方面への下っていくことになるのだ。自ずと、この周辺には坂が多い訳で、この坂も歴史のある坂が結構あったりするのだ。さて。まずは、この辺りの標高がどうなっているのかというのをみてみると以下の地図をご覧いただきたい。
地図の中心に半蔵門がある。うっすらと横に伸びる線が新宿通りにあたる。北側が九段下、あるいは市ヶ谷側、左側に四谷があり、南側は赤坂、赤坂見附になる。ちょうど皇居を内堀がぐるりと囲っているが、さらにその外側に水道橋、市ヶ谷、四谷、赤坂見附と外堀が囲む。
実は皇居より半蔵門、そして麹町の方が標高が高い。つまり、この外堀の内側の台地のピーク(頂)は、麹町あたりになる。したがって、そこから四方に標高が下がっているのだけれど、麹町半蔵門当たりは、横に伸びる稜線状になっていて、新宿通りを上下(南北)に坂が伸びるという構造になっているわけだ。
さて、Google Mapと標高地図と見比べると面白い。Google Mapだと標高がわからないけれど、標高地図だとまさに凹凸がわかるので、こっち方面は坂が下っているというのがわかるわけだ。そしてGoogle Mapに記載されている坂の名前を標高地図に当てはめてみると、なるほど、ここを下っている坂がこんな名前なのかというのがわかって面白い。
これらの坂には、名前のある物ない物など、あれこれある。大抵名前が付いているのは、江戸時代から存在していた坂ということらしい。
わがオフィスからほど近い、新宿通りを南側に下がる場所に「貝坂」がある。平河町一丁目3番地と4番地の間を北から南へ下る坂だ。もともと半蔵門外一帯を古い地名では貝塚と呼んでいたことがあるようで、貝塚があったからだともいわれているとおり、そこから名前が付いた坂だといわれる。さらに、甲斐の国に向かう甲州街道の一里塚があったので、この辺りの人たちが甲斐坂と呼んでいたことから名前が付いたらしい。
平河天満宮の少し南側、城西大学にそって東側に下るのが”中坂”だ。何の変哲もない坂なのだけれど、江戸時代には合った坂というのが、歴史的といえばそうなのだろう。中坂の表示には「元禄四年(一六九一)の地図にはまだ道ができていませんが、宝永(一七○四)以降の図を見ると町屋ができ、現在の道路の形とほとんど違いがないことがわかります。中坂の名称についての由来ははっきりしませんが、中坂をはさんで北側に町屋、南側に武家が並んでいる形をみると、中坂の名称のおこりはあんがいこのへんにあるのかもしれません。」と書かれている。ふむ、説明もなんか凡庸だ。
この辺りで一番名が知れているのは三宅坂だろう。他にも貝坂の西側、プリンス通りは諏訪坂があり、半蔵門駅の北側のの駅前通りは永井坂、国立劇場の北側の坂は鍋割坂と呼ばれる。こうしてこの小さなエリアだけでも結構な数の江戸時代からの坂があって、ぶらり歩くのも楽しい。
今度は番長あたりの、有名人の居住地址巡りをしても楽しいかもしれない。
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休日散歩
http://teesta.exblog.jp/29246358/
2022-06-19T11:20:00+09:00
2022-06-21T11:36:48+09:00
2022-06-21T11:36:48+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
休日の散歩日和なので、主夫業を終了したのち、家人と買い物がてら散歩に出た。今日は珍しくNikon Z5にNikkor 50mm F1.8という明るい大口径の標準レンズをくっつけて持って歩いた。休日の午前中は、アウトレットあたりもまだそれほど人は多くなくて、ぶらぶらとウインドウショッピングするにはいい感じだと思う。
アウトレット中では、パンを臨時に販売するテントが出ていたり、”地球にやさしいキャンプ飯”という食材販売のテントが出ていたりして、休日のワクワクを増加さえているという感じだろうか。家人が右腕を使えないので、散歩や買い物に出た場合のバッグは、ウエストポーチが良いというので、いくつかの店を覗いてみた。ポケットがいろいろと付いたものが良いということだったが、ウエストポーチって、ポケットついていないのだなあ。結局今回は断念。
僕は僕で、休日に着られるTシャツなどを探しているのだけれど、これもまたなんだかちょっと気に入ったものが見つけられなかった。年取ると、どんなものを着たらいいのかというのが結構課題になる。じじい向けのファッション誌なんてものは皆無なので、いろいろと若作りしてそれがデフォルトになっているのだけれど、いったんその路線で固まると、結局ずっとそのまま続いてしまうのだ。なので、この10年ほどはほぼ同じような格好をしていることになる。なんかちょっと気分を変えて、いろんな服を着てみたいなあとは思ったりする。こういうの難しいなあ。
今日は暑かったので、ついつい”カフェに寄ろう”ということになる。幸いテラス席を用意してくれているスタバの席が開いていたので、そこに陣取って、お茶をすることにした。ついつい夏になるとアイスコーヒーメインになる。コールドブリューとかアイスアメリカーのメインになる。スタバは、コーヒーを選べないのでしたない。家人はチャイティーラテのアイス。最近PayPayをあまり気にしないで使っているので、ちょっと支払い残高をきちんと把握しておかないといけないなあと思いつつ、今日もしっかりスタバの支払いはPayPayとなってしまうのだった(笑)。
彼女はなにをほしがっているのだろか?お母さん買ってあげてね。
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1989年のニューヨークの街角に描かれた、ヒュイビーンを思い出した。
http://teesta.exblog.jp/29244564/
2022-06-16T06:03:00+09:00
2022-06-19T17:29:05+09:00
2022-06-19T17:26:41+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
今朝の早朝散歩。
今日も電柱の各種シールをスマフォでパチリ。
ほんと、なんでこんなシールがあちこちの電柱に貼られているんだろう。
1989年頃にNew Yorkにいた頃、
街の至るところに落書きをして歩いている男がいた。
今ではバンクシーが有名だけれど、
あの街角のヒュイビーンは、そんな芸術の走りだったのかもしれない。
ヒューマンビーイングと豆のビーンをかけて、
豆がまるで自由に歩き飛び跳ねている様が
あちこちの街角に描かれていたのを覚えている。
なんだかこれらのシールをみていたら、
あのヒュイビーンを思い出した。
懐かしいなあ。
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早朝散歩と永田町
http://teesta.exblog.jp/29195678/
2022-05-19T11:30:00+09:00
2022-05-22T19:53:55+09:00
2022-05-22T19:39:28+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
今朝は天気が良かったのと、気分と体調も良かったため、市ヶ谷で途中下車してオフィスまで歩いてみた。といっても、結果的には、九段下から一駅歩くよりもオフィスまでは近かったりするので、手抜きな早朝散歩ではある。
都営新宿線の市ヶ谷駅を新宿側でおりて、改札を出て、2番出口を地上に上ると靖国通りに出ることになる。市ヶ谷からオフィスまではいくつか行き方があって、すぐに南下して麹町方面へ出る方法と、靖国通りを少しだけ進んで一番町経由で行く方法などだ。以前オフィスから市谷まで歩いた時は、麹町経由であるいたので、今日は一番町経由にしてぶらぶらと歩く。しかし、ここはどうもみた光景だと思い、周りを見渡すと、なんとアルカディア市ヶ谷が目の前にあった。ここは僕らが結婚式を挙げた場所。もう30年ちょっと前の話だ。NYから戻ってすぐだったことから選択肢が少なく、さらに新婚旅行を豪華にしたくて、式場はホテルという選択肢は皆無で、倹約しまくった結果、大学時代の恩師が紹介してくれた私学会館にしたのだった。
すぐに統合公園入口という交差点が出てくるので、そこを右折した。そこから少し登りになる。低くなっている外堀の市ヶ谷から、高台になっている一番町、さらに麹町、平河町へは坂を上るという位置関係になる。
このあたり、なぜか韓国料理、インド料理、中華料理など、エスニック風の料理屋さんが軒を連ねている。ちょっとごチャットした見栄えなのだけれど、丁度坂の一段落したあたりから、ちょっとだけ風景が変わってくる。
いったん高台に上り詰めると、東郷元帥記念公園が出てくる。そこから少し坂がくだるので、南斜面に東郷記念公園がある形になる。残念ながら、公園のメインスペースはちょうど工事中で中を見れなかった。整備のされている南側の公園部分は広場になっていて、その向こう側(東側)に九段小学校があった。そのさらに向こう側には東京家政中高大と、家人が通っていた大妻女子大があるという場所柄だった。
東郷公園の南側からまたのぼりが始まるのだが、この辺りは、高級マンション群が並んでいる。駐車場に並ぶ車はほぼほぼ外車で、いったい誰がすんでいるんだ?というような、高級感漂う建物が続く。それに周りには武蔵野第附属の高校や女子学院中高などもあって、まさに学園地域でもあるらしい。
更に進むと、なにやら一軒家の平屋が見えてくる。王友荘という建物で、なんでも王子製紙株式会社の迎賓施設なんだとか。個人宅ではないよなあ。そのままちょっと坂を下ると、先日いった欧風カレーの店、プティフ・ア・ラ・カンパーニュの横にでた。トータル1.5km弱、30分の早朝散歩だった。
そして今日は午前中、自民党のブロックチェーン議員連盟でプレゼンするために、第一議員会館へ。10年ぐらい前には、結構足繁く通った場所ではあるけれど、最近は全く用事もなく、とっても久しぶりだった。議員会館は国会議事堂の前に3棟並んでいて、一番北側にあるのが参議院議員会館、その南側が第二議員会館、そして一番南にあるのが第一議員会館だ。永田町の駅からは一番遠く、国会議事堂駅からが近いという場所になる。
国会議事堂の前にはとバスが止まっていたのだが、中から出てきたのが小学生の集団だった。去年はコロナで社会見学なども中止になっていたのではないかと思われるけれど、今年は復活したのだろうか。良かったねえ。国会議事堂は結構見どころがおおいので、見ておくといいよ!って思いながら、合流予定の弁護士さんを待っていたのだった。国会議事堂も、昔はなんども国会答弁に呼ばれた上司に同行してきたっけなあ。懐かしい。
ということで、今日は結構歩く一日になったのであった。
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みずほ丸の内タワーをぶらぶら一回り
http://teesta.exblog.jp/29157121/
2022-04-11T11:00:00+09:00
2022-04-16T20:03:51+09:00
2022-04-16T20:00:43+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
前の会社で本部移転プロジェクトを指揮していた頃、全銀協も全国銀行会館の建て替えで、大手町内の別のビルに引っ越ししているんですという話を、全銀協の理事に聞いたのだった。あれから4年程たって、すっかり綺麗になったみずほ丸の内ビルと全国銀行会館を見る機会を得た。
知らなかったのだけれど、このビル、2020年11月には竣工していたらしい。2020年7月から今年の2月まで勤務していた日本橋の会社では、ほとんど外出もなく、ひたすら内勤でお勉強モード(しかもCOVID-19のため、週二の出勤だった)ので、丸の内を歩く機会などなく、まったく知らなかったのだった。
たまたまみずほ系列の金融機関へ訪問した帰り、ちょこっと時間があったので、このみずほ丸の内ビルと全国銀行会館周辺を一回りしてみたのだった。建物は、「みずほ丸の内タワー」「銀行会館」「丸の内テラス」で構成されているらしい。
みずほ丸の内タワー・銀行会館は、地下4階、地上29階で、高さ149.7m。延床面積約160,348m2。みずほファイナンシャルグループの本社機能が集約されているのだという。
丸の内テラスは地下4階、地上10階で、高さ56.65m。延床面積は約20,530m2。東京初出店や新業態等こだわりの名店を含む飲食・物販・サービスの計11店舗で構成される商業ゾーンと、プライベートクラブ「OCA TOKYO(オーカ トウキョウ)」で構成されている。丸の内仲通りに面する路面店舗にテラス空間があって、面白いつくりになっている。
ちょっと気になったご飯屋さんもはいっていて、面白そうだった。丸の内、やっぱりいいなあ。半蔵門当たりとは大違いだ。しかし、地形的に考えて、このあたりって、日比谷入江の端っこなので、地盤とか大丈夫なんだろうかと、巨大なビルを見るたびに思ってしまうのだった。
「みずほ丸の内タワー」「銀行会館」「丸の内テラス」
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散る桜(千鳥ヶ淵)
http://teesta.exblog.jp/29152510/
2022-04-05T07:00:00+09:00
2022-04-14T05:55:48+09:00
2022-04-12T15:02:32+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
もう桜も終わりに近づく頃、九段下で途中下車し、千鳥ヶ淵をもう一度歩いてみた。散った薄紅色の花びらが、なんとなく淋しげで、ふと“祭りの後”なんて言う言葉が思い浮かんだ。
“花の命は短くて”と言うが、たしかにあっという間に咲き誇り、ハラハラと散ってしまう。日本人の心に刺さる、“美”の象徴のような花なのだな。
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花見サイクリング
http://teesta.exblog.jp/29146688/
2022-04-02T11:30:00+09:00
2022-04-07T07:33:03+09:00
2022-04-07T07:29:38+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
今年は、都心の桜にそれほど遅れをとることなく、近隣のソメイヨシノが満開になった。普通なら、早咲きのヨウコウ桜が散り始めるころになって、ようやくソメイヨシノが咲くのだけれど、ヨウコウが遅かったせいか、その分、なんだかソメイヨシノが1週間ぐらい早いという感じがする。でも、やはり桜といえばソメイヨシノというぐらい、この桜が咲くと、あたりが一気に春になったように明るくなるのは、とてもうれしい。
せっかくの天気の良い土曜日なのだから、お花見しない手はないよねと家人と家を出たのだけれど、どうせならレンタルサイクルを借りて、近隣の桜の名所を走ってみようかということになった。同じことを考える人が多いのか、一番最寄りのレンタサイクルポートには、1台も自転車がなかったので、まずはぶらぶらと駅前まで歩き、都立大前の桜並木の桜を堪能した。ここの桜は、本当に見事になった。南大沢に越してきた30年近く前は、まだここまで木々が大きくなくて、花が咲く時期ですら、桜の木が並んでいるなという感じだったのだけれど、いまや立派な桜並木になった。
まずは、都立大学から富士見台公園まで走った。自転車は快適だ。前回はまだ手袋が必要だったけれど、桜の季節にもなるとさすがに手袋は不要。厚着をしなくても寒くなくなった。自転車のペダルを踏むごとに前方から飛び込んでくる風も、とても心地よい。このレンタサイクルの仕組みは、こういう時本当にありがたいものだ。
富士見台公園は、小高い丘を利用して作られた大きな公園だが、その南上部にたくさんのソメイヨシノが植えられていている。ちょうどこの一帯は縄文時代の残っている高台で、居心地がとても良い。多摩地区は、縄文時代の多摩ニュータウンのように、たくさんの遺跡が残されていて、人口密集地帯だったといわれる。適度に野生の動物がいて、きれいな水の湧き出る水源が各所にあったため、人が住むには良い環境だったのだろう。自然の中で暮らす大昔の人が住んでいた場所なのだから、気持ちがよいのは当たり前か。ここに何千年もたった後に、花見に来る人がいるなんて、当時の人は考えただろうか。
以前は大勢の人が花見にやってきて、所狭しとビニールシートを敷いて宴会を繰り広げるお花見の名所だった。コロナ以降は、さすがに宴会をする人はいなくなったけれど、それでも家族連れやカップルが、おとなしく花見をしていた。こうやって静かに花をめでるのもよいものだ。いつから花見=どんちゃん騒ぎになってしまったんだろう。まだ入社間もないころ、金曜日の昼過ぎに上野にいって場所取りしろと上司に命じられて、上野に行ってビニール敷いてぽつんとみんなが来るまで何時間も時間を潰したことがあったのを思い出した。昔は当たり前だったそんな習慣も、いまやお笑いのネタのごとく忘れ去られているのかもしれない。
サイクリング花見動画です。画像をクリックしてみてください。
富士見台公園からは北側に坂を下り、大栗川にでる。この川の片側にも桜並木が続いていて、様にサイクリングにはうってつけの場所になっている。若干歩道のコンデションが悪いので、気持ちよく走れる場所ではないのだけれど、それでも桜をめでながらサイクリングするには、とても気持ちのいい場所だった。
途中、キラキラのフルーツサンドを打っているBlue Blueに立ち寄ったり、先日アド街でやったラーメン屋に立ち寄ったりしながら、気持ちの良い花見サイクリングを堪能したのだった。
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早朝花見-千鳥ヶ淵へ
http://teesta.exblog.jp/29152548/
2022-03-28T06:59:00+09:00
2022-04-12T16:49:06+09:00
2022-04-12T15:25:55+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
毎年恒例の千鳥ヶ淵の桜を、今年も早朝散歩&花見で楽しんだ。ここ数年COVID-19 のせいで人がいない。早朝に散歩するにはうってつけの環境だ。ただ、やはり去年よりは全体的に人の出は増えたかもしれない。
いつものように北の丸公園いり口の斜面に鎮座するチドリが淵で一番好きな桜の木を撮る。この木はもう10年以上前から何度も撮っている、僕にとっての桜の標準木見たなものだ。後ろに武道館の金の玉ねぎが見えるのもいい感じ。
江戸城 田安門の周辺をぶらぶらした後、必ずカメラマンが集まる東京タワーと千鳥ヶ淵が一望できるスポットで数枚写真を撮って、のんびりと千鳥ヶ淵緑道を散策する。今年はちょっと動画などを撮ってみたけれど、やはり手持ちだと歩くたびに画面が上下するので、ジンバルが欲しくなった。というか、iPhoneではなくちゃんと動画撮りたいなあ。でも、大きめのコンデジ用ジンバル、高いんだよねえなどとそんなことを考えながら、ぶらぶらと花のトンネルをくぐって先に進むと、いつものようにボートが係留されている広い淵に到着。
なんとなく今年は、花の付きがよくない気がしないでもない。それとも天気のせいだろうか。桜の花は虫を呼び込むために、紫外線に反射してキラキラ輝くのだそうだが、今日はちょっと雲が多く、さらに早朝ということもあって、反射の仕方が弱かったのだろうか。
しかし、何度見ても千鳥ヶ淵の桜は見飽きることがない。今度10年分の千鳥ヶ淵の桜を並べてblogに展示してみようか。結構面白いに違いない。
一頻り千鳥ヶ淵緑道を楽しんだのち、お堀端から別れを告げ、国立劇場に向かってずんずんと歩く。千鳥ヶ淵公園 (西側)に綺麗に咲いていた枝垂桜をぽちっとしてから、そのまままっすぐ英国大使館の前を通り過ぎて、最終的には国立劇場まで。
国立劇場の周辺には、各種の桜が植えられていて、この時期、この時間はジョガーたちの格好の休憩場になっている。特に国立劇場の建物の正面には”駿河桜”と”駿河小町(駿河桜の種から育った新品種。)”がきれいに薄紅の花を咲かせていた。
ここからオフィスまではもういくらもなく(5分程度)到着。CAFFE PASCUCCI Kojimachiでアメリカーノ勝手出勤しよう。
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ポケモンイベントであちこちぶらぶらした。
http://teesta.exblog.jp/29103489/
2022-02-26T15:30:00+09:00
2022-02-27T15:22:30+09:00
2022-02-27T15:22:30+09:00
darjeeling_days
walking:散歩
今日はしっかり朝寝坊してしまったのだけれど、9時からポケモンイベントがあるので、起きて朝ごはんを食べて、家の用事を終えたあと、iPhoneとiPadを持って駅前にでかけた。
今どきポケGOをしているのは、高齢者だというのはよく分っている。若者はもはやこのゲームには興味はないだろう。でも、一方で、このアプリは、いわゆる中高年の健康グッツでもあるのだ。今回のイベントは、まああれこれとやることのあるイベントだったけれど、あちこち歩き回ることができるので、やはりポケモンは、中高年向け強制運動アプリだなと改めて思たりした(笑)。
で、ひとしきりアウトレットや駅前などを歩き回ったあと、今日は大戸屋でランチ。久しぶりにきたら、いろいろメニューがあったので、今日は味噌シチューにしてみた。木曜日にたんシチューを食べたばかりだったけれど、これはまた別物の食べ物なので、良しとした。ご飯は白米で少な目。土鍋のシチューと味噌汁。これはこれでいい感じだった。
しかし、シチューに鰹節という発想はどこから出たんだろう。味噌も、若干甘みのある名古屋の味噌煮込みうどん系の味わいを彷彿とさせる味わいのシチューなのだけれど、鰹節の味が加わっても、あまり大きな影響はない感じがした。まあ、見栄えは良くなるのかもしれないけれどね。
ご飯の後、再びぶらぶらとあちこちを歩きながらタスクのクリア。今日は前に台湾で取った東南アジア方面限定のサニーゴと南米限定のヘラクロスをレイドでGET。本当は色違いをGETしたかったのだけれどなあ。しかし地域限定ポケモンをCOVID-19だからGETできるのはうれしいのだけれど、そこに行かないと取れないポケモンは、残してほしいなあとも思ったりする。今日は色違いポケモンの出も悪かった。
少し歩き疲れたので、スタバで休憩。今日はタゾチャイティーラテにしてみた。コーヒー復活まではもう少し。来週は美味しいコーヒー飲みに行きたいものだ。
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